SSブログ
本と暮らし ブログトップ

自分の文章、日本語に見えるだけ? [本と暮らし]

こうして、誰から頼まれたわけでもなく、ブログを持ってときどき文章を作っている。

パソコンのおかげで「書く」ことが効率的になったことで、文章を作る頻度と量は増えている。

でも、だからといって文章力が等しく向上しているか、というと残念ながらそうではないらしい。

書きたいものがあったとき、持っているボキャブラリーの中から、
組み合わせ慣れたことばのパターンを当てはめて文章の体裁を繕っている。

その作業の中で書ける文章がいくらかパターン化されてきていることを感じて、
最近、自分の作り出したマンネリズムに対する「飽き」が無視しきれなくなってきた。

例えば、前にも似たような言い回しをしたな、とか、
自分が新しく感じたことを表現するために、
ピタッと当てはまる言葉を探す前にすでに使ったことのある表現で代用して済ませてしまったり、
使っている書き言葉の手ごたえを感じにくくなった。

わざわざ公開しているブログなのだから、
もちろん読まれることを想定して書いてはいるけれど、
むかし書いたものに再び目を通すと、読むのがつらくなることがあり、いたたまれない。

そうしてときおり、文章を推敲して、言葉尻を直したり、不要箇所を消したりしている。

たまに国語に関する図書を借りて読むのだけど、
いきおい手に取った林望さんの著書、「日本語の磨きかた」を読んでしまったことで、
自分の文章力がどうにかならないかを考えはじめることになった。

RIMG6100.JPG
これを読んでいると、つい自分の文章のこととに重ねてしまい、
反省しがちな気分にもなってしまうのだけど、
ひとつ救いの光明を感じることばも見つかった。

書いた文章を客観的に判断することが、上達への第一歩ということで、
自己批判できるうちは、まだ発展できる余地があるんだな、と思えたことで希望はつなぎとめた。

技術的な巧さがなくても面白い文を書く人もいる、
反対に文章の作り方が巧くても面白みに欠ける人もいる、と様々な文章があるという。

この本で個人的に面白かったのは林望さん自身が森鴎外の文章に影響を受けていて、
尊敬の念も確かにうかがえるのに、
鴎外の文はある面で非常にわかりにくいとズバッと爽快に斬っているところ。

けっして森鴎外のような文豪でもおだて上げて誉めそやすわけでもなく、
冷静な視点で文章のこと、ひいては古文を含めた日本語のことを論じる姿勢に私は惹かれていた。


文章の面白み、それはいったい何なのか、ということを考えたとき、
まだ自分にはことばにすることができないのだけど、
これについてはブログをやっているうちはずっと考え続けていけるテーマになると思った。

おめもじでした。

日本語の磨きかた (PHP新書)



タグ:読書

食べ方それぞれ薬と毒 「空腹力」 [本と暮らし]

一冊の本を買った。

読書本はふだん図書館で借りて読むので、自分で買うことがめったにない。
持ち物の整理も鋭意、継続中、そのためわざわざ手元に置いておこうとまで思える本はめったにない。

先日、興味深い一冊を借り、たまたま立ち寄った書店で探すと見つかったので
これも何かの縁と思い、マイ蔵書の一冊に迎えることに。

RIMG4412.JPG
それは「空腹力」という石原 結實さんの著書。

おもに断食による健康効果に焦点を当てた内容は、身体の仕組みと食べ物の関係とをからめて、
興味深い示唆を含めて紹介されていた。

私が勝手に整理整頓の師匠とあおぐ、カレン・キングストンさんの著書でも、
身体の浄化方法として「断食」による健康効果について触れている章があり、
その章を掘り下げた内容がまさに「空腹力」で説明されていた、というのが私の印象だった。


以前は断食と聞くと、いきすぎた無理なダイエット、修行僧のやるような「完全絶食」という過酷なイメージがあったけども、心身の健康再生を目的としておこなわれる「断食」はそういうものではないらしい。

断食によって、食べ物を消化・吸収する臓器は休むことができ、こうした臓器の負担が軽くなることで体調を整えるために身体が働ける余裕ができる、という考えである。

本書の文中で驚いた例がある。

養鶏では年をとって卵を産まなくなったニワトリに、2週間の強制断食をさせる。

すると、いったん羽毛がすべて抜け落ち、そのうち2%が死んでしまうそうだが、
98%のニワトリは新しい羽が生えてくるとともに再び1年半にわたって卵を産むようになるという。
生命力をよび戻すこの方法を「強制換羽」というらしい。


著者の石原さんが主宰する断食療養所の患者さんが行う断食方法では、リンゴやニンジンで作ったジュースを飲みながら、しょうが紅茶や黒砂糖などを口にする。

これにより基本的なビタミンやミネラル・糖分などの栄養素はきちんと確保しつつ行う断食のため、
さほど空腹感に悩ませられることはないらしい。

するとしだいに身体が、自らの肉体に溜まった「毒素」や「老廃物」の処理をさかんに行うようになり、それによって呼気や体臭・排泄物が一時的にひどい悪臭を発するらしい。

身体の内にそんなにひどいものを溜めこんでいたのか、とやや想像しがたいが、
負担の軽くなった身体は自然とそういう自浄作用をパワフルに発揮する。


私はこのような本格的な断食療法を体験したことはないが、食事量と日々の体調は密接に関係しあっている、と感じている。

たとえば、夕食を含めて間食など食べすぎた日の翌朝の目覚めは良くないことが多い。

反対に、夜眠ろうとする時におなかが空いて空腹感を感じているときほど、
翌朝いつもより1時間ほど早く目が覚めたり、目覚めの良いことが多い。

また、夜更かししてしまっても空腹状態で眠った場合は、翌日の日中に強い眠気に苛まれることがあまりない。

今年の春に糖断ちした時の身体も同じような様子だった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「空腹力」での話を拡大すると、人生の展開についても同じようなことが言える、と私は「空腹力」を読んで思った。

断食によって、身体が老廃物を排出し、健康を再生する。

私は、2007年の春に学校を卒業したときから、ある意味での断食が行われたと思う。

その時は働く先もなかったし、まとまった貯金もなかったし、人との付き合いも減る一方だった。外から影響されるものがほとんどなくなっていた。

自然と内からわいてくるものに目を向けることになっていた。

本を読むようになったし、それが今回の「空腹力」を見つけるきっかけにも通じている。

本気で持ち物の整理をし始めたし、お金の使い方もきちんと把握するようになった。
文章を書くことを通じて、ものを「考える力」を鍛えることにも注目しだした。

今振り返ると、こういった期間があったおかげで、今までの自分を反省し見直すということについて、かなり大きな契機となっていることは間違いない。

2007年の春以前・以後ではまったく時間の流れが変わってしまった。

おそらくとしか言えないけど、卒業後にすぐに働き始めたら、こういうことを考えて実行したりする余裕はなかったんじゃないか、と思う。

もう何事にも、なげやりになったりは決してない。自分の選ぶ力を放棄することも決してない。


たぶん、空白や空腹は一見カラッポで何もないように見えて、実は活発なエネルギーが押し寄せる場所なのではないか、と感じる。

私の中のあらゆる考えや経験が統一性を持とうと、ひしめきあっている。
その予感を信じて言葉にできるまで考え抜きたい。

もう健康になるしかない。

おめもじでした。

空腹力 (PHP新書)


タグ:考える 読書

あちらの世界 「アウト・オン・ア・リム」 [本と暮らし]

今はまだ、人から見たらどう思われるのだろう、という懸念を払拭しきれてはいない。

でも本当のところ、そういう心配をあまりしなくなるだろうという展望があるもので、
いっその事、書いてしまおうと思った。

私が、「地球と身体は同じなんだ、」と思った時に読んでいた本は、
シャーリー・マクレーン著「アウト・オン・ア・リム」という女優シャーリーの体験をつづった一冊だった。

「アウト・オン・ア・リム」の約400ページのうち50ページくらいを読んだ時点で眠くなり、
そのまどろみの中で私は地球と身体は同じなのかもしれないという、
直観のような閃きにさらされながら、いつしか眠っていた。

RIMG4377.JPG

昨夜、「アウト・オン・ア・リム」を読み進めていくと後半に、地球と身体の相似性についての直観を代弁してくれるような一文が書いてあった。

それは地球と身体よりももっとマクロかつ、ミクロな視点から、そしてより科学的な考察に基づく説明だった。

まず、物質を構成する「原子」、それは陽子と電子から成り、
陽子のまわりを電子が高速でまわっている、という原子の構造についての説明があった。

そしてその仕組みは、地球を含む太陽系の惑星は、太陽を中心に一定の周期でそのまわりをまわっている、つまり原子は小さな小さな太陽系であるという、一節があった。

そういえば忘れていたけど学生の時、これは科学や理科で習ったことがあるなぁ、と思い出したが、
天体と原子構造が似ていることを当時考えたことがあったのだろうか。

ともかく人体にせよ、天体にせよ、物理的な大小を問わず明らかな類似点、
もしくは同質の仕組みによって成り立っていることには、何か強い関心を抱かずにはおれなかった。


私は人体と地球は同じものなのだと思い、シャーリーは一滴の水の中にも宇宙全体が含まれているのね、と言っていた。

「アウト・オン・ア・リム」の50ページほどで直観したことは、シャーリー・マクレーンたちにとっては特別なことでもないごく自然な見解だったらしい。

今、文章にするのはこれくらいが適当なのではないかと思う。

私にとっても未消化な部分を受け入れるため、いくらか時間を用意したい。



昨夜、私は「アウト・オン・ア・リム」を最後まで読みとおした。

夕食後しばらくして、部屋の灯りを消し、本を読む手元とそのまわりを照らして、
お気に入りのカリガリスの椅子に座り、ページをめくり続けた。

全体の8割ほどを読み進めた時点で、少し眠くなってきたように感じたが、
頭の中はさほど淀んではいなかった。
今なら読みとおせるし、読みとおしたいと思って最後のページをめくった時、
壁にかけてある時計を見ると、まもなく21時を指そうとしていた。

RIMG4376.JPG

時計の様子は不自然だった。違和感に気付く。

秒針が6時を超えられずに同じところで弱弱しくピクン、ピクンとふるえていた。

そのとき、深夜2時ちょうどくらいの時間だった。本を読んでいる間、一度も時間を気にしなかったので時計も見ていなかった。

この時計は2008年の3月末に購入し、昨日までずっと確かに動き続けていた。
時計は2年半と少しの間、たいした誤差もなく、静かに止まった。

それまでの時間が終わったらしい。

これからの時間が始まろうとしているらしい。


おめもじでした。

アウト・オン・ア・リム (角川文庫)



セルフ星占い [本と暮らし]

私は占いが好きだ。

信じているか否か、というより好きだ。納得してる部分も不明瞭な部分も混沌としている。

手相占いや星占い、やや離れたところで風水も興味深いと思う。

情報の分析と総合的な翻訳を持ち合わせて人の本質に迫らんとするような、
案外ロジカルな面を持ち合わせているところも面白い。

先日、石井ゆかりさんの12星座それぞれを紹介した本が出そろい、私の星座「魚座」を買った。
RIMG4120.JPG
文庫サイズで表紙の紙にはシボ加工が施されなんだか手触りがよい。

この本では魚座の世界のことをあらゆる面から切り取って紹介されており、
改めて知ったところもあり、自分には該当しないかも?と思ったり、
初めて自分が言葉にできていなかった心情を見つけたり。

とても読みやすい反面、ちょっと物足りない感もあったり。
ひとつひとつの星座を個別に扱う本ということで、かなりディープな内容を勝手に期待していた模様。

しかしこれは予想以上に抵抗なく読み進められたために抱いた、ないものねだりかもしれない。

魚座、つまり私の性質として目に見えないものに関心を抱く傾向がある、
ということで本の内容との親和性が高かったためか、これはこれで腑に落ちるものがあった。


星占いの世界で「私は魚座です」という場合。

一般的には2月20日からの1カ月間に生まれたときに魚座だとされているが、
きちんと占星術の視点で占おうとするとこれだけでは情報が少ない。

星占いでは名前の通り、太陽や水星、土星といった10の星々がホロスコープと呼ばれる時計の文字盤のような図を巡っていく様子によって占われる。

ホロスコープでは、時計にあたる12時間分の区切りの代わりに12星座による区切りがある。

そしてこの10の星々と12星座それぞれが象徴的な意味を持っている。

例えば、星のひとつである水星はコミュニケーションや交通を象徴しており、星座のひとつ魚座は優しさや揺らぐイメージを持っていたりする。

こういった個別の意味合いの重なり合いを結び付けて、翻訳されたものが星占いなのである。


バースチャート.jpg
このホロスコープは私の生まれた日付のその瞬間の星の配置を切り取ったもので、バース・チャートと呼ばれる。(作成は占いサイト「運命の世界」より)

これはその人の生まれ持った基本的な性質を示している。

円の内側にちりばめられている記号が星をあらわし、そこにある太陽が魚座の範囲内にあるため、
私は魚座です、というのが星占いの世界の解釈になる。

太陽はその人の根幹的な部分を担う星なので、おおまかな区分としてはとても象徴的なのである。

星占いに興味を持ってから自分なりにホロスコープを翻訳してみると、
色々と曲解しているかもしれないけども色んな事が見えてくる。


まず私の場合、10の星々がうお座に3つ、やぎ座にも3つ、いて座には2つと、割り合い寄り集まった形になっている。

私は男だけども、昔から中性的とか女性的であると言われることが多く、
多少自覚もあるのだがバース・チャートを見れば、案外に納得いくものになるのは面白い発見だった。

12星座にはいくつかの性質区分があり、そのひとつに男性星座と女性星座という見方がある。

私のバース・チャートにある10の星のうち、なんと8つの星が女性星座の場所にあったことがわかった。
うお座もやぎ座も女性星座だ。

さらに星の中でも月と金星は、特に女性的な象徴である。アルテミス(月)ヴィーナス(金星)どちらも神話でいうところの女神さま達でもある。

そんな月と金星も揃って女性星座であるやぎ座に位置しており、なんだかホロスコープ上では女性的な気質を含んでいる感じがひしひし伝わってくる。

私は中学生の時、風邪をひいて病院で検診した時、”ブラジャーとってね”と言われた事がある。
男の子だからしてるはずない。ブラ男でもない。

きっと私は生来男っぽさみたいなオーラがあまりないのだろうと思う。


そのほか、まだまだ符合するような一致の発見は多いのだけど、今回はこれくらいで終わりにしたい。

とにかく自分以外の人のバース・チャートを見てみても本当に千差万別、
ホロスコープだけ見てもなんとなくこんな人かな?なんて想像できておもしろい。

私は女性の良いところを兼ね備えた一人の男性としてふるまおうと思うのである。

おめもじでした。


魚座



「なぜあの人は整理がうまいのか」 [本と暮らし]

中谷彰宏さんの著書、「なぜあの人は整理がうまいのか」を読んだとき、
ある種の偶然の一致とも呼べるようなできごとにいくつか遭遇しました。

ちょっとだけそのことを交えて読んで感じたことをここに書きます。

RIMG3734.JPG

今回の本は最寄りの図書館で借りた蔵書なので、たまに前の人が借りた際の貸出票などの忘れものがはさまったままになっている、なんていうことがあります。

その程度ならば、気にとめることもなく私が処分するのですが、今回。

個人情報がもろに印刷された「ダイレクトメール」がしおり代わりに(!)はさまっていました。

最近図書館でこの本を返却されたイニシャルY・Tの女性の方。

買い物をしているお店・住所・本名がダダ漏れでございました。

しかしご安心ください、今月導入されたシュレッダーの活躍によりその情報の一切は紙クズとなりました。


意図的に仕掛けられたものか、天然ボケなのか、などは私の知るところではありません。

この「なぜあの人は整理がうまいのか」第三章の1ページに、
クレジットカードや郵便物などの個人情報が入った品物の処分について書かれたページがあります。

「ダイレクトメールしおり」がはさまっていたのはこのページのあと。

つまりこのページをおそらく読んだにも関わらず、もろに個人情報を残してしまうあたり、
一体何を読んだのか、問い正したくなりましたが、
とりあえず悪意ある人に見つからずに済んで良かったですね。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

この「なぜあの人は整理がうまいのか」を整理整頓の入門書のように手に取る方には、ややハードルが高い印象を受けました。

同書の内容から察するに著者の中谷彰宏さんは整理整頓レベルがかなり高いお方です。

整理整頓を苦手としている人が気軽に手にとって読むと、

”え!?いきなりそんなこと言われても…ちょっと無理かも…”

といった、高度に洗練された整理術を前に気持ちがくじけてしまいかねない強力な発言もありました。


整理整頓を重要なライフサイクルとして認識して行動を始めた私もこれはレベル高いな、と感じた記述がいくつかありました。

しかし、書かれていることに矛盾やこじつけは一切ありませんでした。

中谷彰宏さんは他にも本当に多彩なジャンルで出版活動をされていますが、その執筆サイクルがはやいことでも知られています。

次々と様々なテーマで多くの著書を出版していける秘訣はやはり整理にあるといって間違いはありません。これは私も自信を持って断言できます。


風の通り道があることが大切である、と「なぜあの人は整理がうまいのか」を読んでいる時に、今日はテレビで「となりのトトロ」を放送しているではありませんか。

長い間ずっと読んでいない本、使っていないもの、動いていない荷物には運気が滞っている、だからときに場所を変えて動かすだけでも新しい気分を生み出せることがあり、その過程で古くていらない物に気付けることもある、と中谷彰宏さんはおっしゃいます。

風も通らないほどパンパンに物を詰め込む空間には、チャンスも神様も新しいものも立ち寄ることができないそうです。


トトロとかけて、整理術と説く、その心はどちらも「風の通り道」があることが大切です。





おめもじでした。

なぜあの人は整理がうまいのか


タグ:整理論 読書
本と暮らし ブログトップ
実績トップクラスのブランド品 宅配買取♪

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。