中島みゆきツアー おたよりコーナーにて [Mの音楽]
11月25日、大安吉日の今夜は「中島みゆきTOUR2010」の東京公演を堪能しました。
昨晩に期待したことなど、はるか彼方にすっ飛んでしまうくらい、
予想だにしないできごとがありました。
近年のみゆきさんのコンサートでは「おたよりコーナー」という、
開演前にお客さんから様々なメッセージやコメントを募り、
抜粋したおたよりをもとにコンサート中にみゆきさんがトークするコーナーがあります。
かつてオールナイトニッポンをはじめとするラジオ番組で何年もディスクジョッキーをしていた経験のある、みゆきさんならではのコーナーです。
せっかくなので、私も何かおたよりを書くことにしました。
どうしてどうして、やっぱり書くのなら読まれたい、という気持ちがあったので、
あまり個人的な普通のことを書いても選ぶスタッフさんの目には止まらないだろうと思い、
選ばれるおたよりが一体どんなものか、そのヒントを得るべく、ある1冊の本を思い起こしました。
みゆきさんがオールナイトニッポンのDJを卒業したあとに出版された「LOVE」というラジオ本です。
「中島みゆきのオールナイトニッポン」はちょうど私が生まれたころに終了しているので、
当然当時の生の雰囲気など知る由もありません。
しかしこの「LOVE」には当時番組に寄せられたおたよりがいくつも掲載されており、
採用されるおたよりのクセ、傾向、ムードがとても参考になりました。
シンプルでパンチの効いたことはないか、とネタ練りしていると、思いつきました。
みゆきさんはけっこうな「近眼」らしいので見やすく書いてね、という案内があったので、
設置された「おたよりコーナー」に用意された細いペンではなく、
持っていたマッキーの黒マジックを使いました。
このマッキーは私の「勝負ペン」でもあり、かつてシド・ミードさんやセシル・コルベルさんご本人に、
直筆サインをいただいた際に使用された由緒ある(?)マジックです。
緊張のあまり一度書き損じつつも、おたよりを完成させ、投書を済ませてコンサートに臨みました。
新アルバムからのチョイス、まさかの楽曲が披露されたりで、興奮の中、
6曲目が終わった時点で、みゆきさんによる「おたよりコーナー」が始まりました。
左手に数枚のおたよりを持ち、軽快なトークに乗せて1通目のおたよりが読まれ始めました。
みゆきさんがCM出演している化粧品「アスタリフト」。これを売り場で手にした投稿者の男性、
店員さんから勧められ購入。
男性が化粧品を?という疑問を解消するべくアスタリフト相談窓口に電話、
男性にもお使いいただけますとの回答をいただいたというおたより内容。
みゆきさん、おもむろにバックのミュージシャンの男性陣にアスタリフトを勧めて会場に笑いが起こりました。
そして3通目くらいでしょうか、読まれはじめた冒頭文を聞くやいなや、ギクッとしました。
なんと開演前に私の書いた「おたより」がみゆきさんによって読まれ始めているではありませんか。
書いた張本人であるわたくし、内容を知っています。
「みゆきさんに謝りたいことがあります。
パソコンで「中島みゆき」と打とうとしたところ、
NとBのキーが並んでいて不注意で
「ばかじま みゆき」と打ってしまいました。
大変、失礼致しました。」
みゆきさんが、みゆきさんが!後を向いてうずくまってしまいました。
しばらく間を置き、立ちあがってみゆきさん。
「…はぁ、~もう休憩にしよっか。」
笑いのあまり「まつ毛」がとれそうだ、とおっしゃっていたので、
どうやら笑いとして受け取っていただけたようです。
「…かじま みゆき」という言葉が発せられた瞬間、会場が本当に「ドッ」と湧いていました。
私からすると、おいおいやっちゃったぞ、まずいぞ、と怯みながらも喜びがグワッと湧いていました。
そして最後にみゆきさんが、「ペンネーム、青木なおや!」
すかさず私は「すみませーん!」とステージのみゆきさんに向かって叫んでいました。
なんといいますか、生きた心地のしないショッキングな感動を覚えました。
あの「中島みゆき」に自分の名前を呼んで(読んで)いただける…夢でさえも見なかったことです。
本当にたぐいまれなる僥倖であった、と言うほかありません。
実名で投稿していたので、もしもおたよりが読まれたら名前も読んでもらえるなぁ、
と企んでいたのですが、まさかまさか、いやまさか。
おたよりコーナーが終わった後の1曲がまともに聴けていなかった気がします。
気分は満開に咲き乱れる花々のごとく、色鮮やかに躍動しておりました。
昨日、このブログで中島みゆきコンサートツアーのセットリストを予想した記事を書いた時に、
「…かじまみゆき」と謝入力してしまい、私は笑いながら慌て、それを思い出しておたよりしました。
ブログをやってこければこのできごとは無かったのかもしれません。
念を押して、ことわっておきますが、私はみゆきさんを罵ったり蔑んだりなんて考えは、
毛ほども心にはありません。
おそらくハガキを選んでいただいたであろう、「ポチ」こと寺崎要さんに感謝、です。
ポチはおたよりを選別するためだけに全国ツアーをまわっているぞ、なんてみゆきさんは言っていましたが、それだけコンサートをより楽しく盛り上げるためには欠かせない方なのでしょう。
この日に読まれたおたよりは6~7通ほどで、コーナーもコンサート中で一回きりだったので、
たくさん寄せられたであろう中から選んでいただき、本当に嬉しく、光栄に思います。
書き損じが手元に。ばかっぽい字です(笑)
(2011/4/28 追記)
中島みゆきオフィシャルサイト「でじなみ」内のコンテンツ、
中島みゆきTOUR2010ツアーレポートにおいて、今回のこのおたよりが紹介されています。
ポチさんによって、各会場選りすぐりの1通が紹介される中、
11月25日はこのタイピングミス謝罪おたよりが選ばれました。
オフィシャルサイトに掲載していいのでしょうか、こういうネタ。懐が深いですね。
恐悦至極であります。
おめもじでした。
昨晩に期待したことなど、はるか彼方にすっ飛んでしまうくらい、
予想だにしないできごとがありました。
近年のみゆきさんのコンサートでは「おたよりコーナー」という、
開演前にお客さんから様々なメッセージやコメントを募り、
抜粋したおたよりをもとにコンサート中にみゆきさんがトークするコーナーがあります。
かつてオールナイトニッポンをはじめとするラジオ番組で何年もディスクジョッキーをしていた経験のある、みゆきさんならではのコーナーです。
せっかくなので、私も何かおたよりを書くことにしました。
どうしてどうして、やっぱり書くのなら読まれたい、という気持ちがあったので、
あまり個人的な普通のことを書いても選ぶスタッフさんの目には止まらないだろうと思い、
選ばれるおたよりが一体どんなものか、そのヒントを得るべく、ある1冊の本を思い起こしました。
みゆきさんがオールナイトニッポンのDJを卒業したあとに出版された「LOVE」というラジオ本です。
「中島みゆきのオールナイトニッポン」はちょうど私が生まれたころに終了しているので、
当然当時の生の雰囲気など知る由もありません。
しかしこの「LOVE」には当時番組に寄せられたおたよりがいくつも掲載されており、
採用されるおたよりのクセ、傾向、ムードがとても参考になりました。
シンプルでパンチの効いたことはないか、とネタ練りしていると、思いつきました。
みゆきさんはけっこうな「近眼」らしいので見やすく書いてね、という案内があったので、
設置された「おたよりコーナー」に用意された細いペンではなく、
持っていたマッキーの黒マジックを使いました。
このマッキーは私の「勝負ペン」でもあり、かつてシド・ミードさんやセシル・コルベルさんご本人に、
直筆サインをいただいた際に使用された由緒ある(?)マジックです。
緊張のあまり一度書き損じつつも、おたよりを完成させ、投書を済ませてコンサートに臨みました。
新アルバムからのチョイス、まさかの楽曲が披露されたりで、興奮の中、
6曲目が終わった時点で、みゆきさんによる「おたよりコーナー」が始まりました。
左手に数枚のおたよりを持ち、軽快なトークに乗せて1通目のおたよりが読まれ始めました。
みゆきさんがCM出演している化粧品「アスタリフト」。これを売り場で手にした投稿者の男性、
店員さんから勧められ購入。
男性が化粧品を?という疑問を解消するべくアスタリフト相談窓口に電話、
男性にもお使いいただけますとの回答をいただいたというおたより内容。
みゆきさん、おもむろにバックのミュージシャンの男性陣にアスタリフトを勧めて会場に笑いが起こりました。
そして3通目くらいでしょうか、読まれはじめた冒頭文を聞くやいなや、ギクッとしました。
なんと開演前に私の書いた「おたより」がみゆきさんによって読まれ始めているではありませんか。
書いた張本人であるわたくし、内容を知っています。
「みゆきさんに謝りたいことがあります。
パソコンで「中島みゆき」と打とうとしたところ、
NとBのキーが並んでいて不注意で
「ばかじま みゆき」と打ってしまいました。
大変、失礼致しました。」
みゆきさんが、みゆきさんが!後を向いてうずくまってしまいました。
しばらく間を置き、立ちあがってみゆきさん。
「…はぁ、~もう休憩にしよっか。」
笑いのあまり「まつ毛」がとれそうだ、とおっしゃっていたので、
どうやら笑いとして受け取っていただけたようです。
「…かじま みゆき」という言葉が発せられた瞬間、会場が本当に「ドッ」と湧いていました。
私からすると、おいおいやっちゃったぞ、まずいぞ、と怯みながらも喜びがグワッと湧いていました。
そして最後にみゆきさんが、「ペンネーム、青木なおや!」
すかさず私は「すみませーん!」とステージのみゆきさんに向かって叫んでいました。
なんといいますか、生きた心地のしないショッキングな感動を覚えました。
あの「中島みゆき」に自分の名前を呼んで(読んで)いただける…夢でさえも見なかったことです。
本当にたぐいまれなる僥倖であった、と言うほかありません。
実名で投稿していたので、もしもおたよりが読まれたら名前も読んでもらえるなぁ、
と企んでいたのですが、まさかまさか、いやまさか。
おたよりコーナーが終わった後の1曲がまともに聴けていなかった気がします。
気分は満開に咲き乱れる花々のごとく、色鮮やかに躍動しておりました。
昨日、このブログで中島みゆきコンサートツアーのセットリストを予想した記事を書いた時に、
「…かじまみゆき」と謝入力してしまい、私は笑いながら慌て、それを思い出しておたよりしました。
ブログをやってこければこのできごとは無かったのかもしれません。
念を押して、ことわっておきますが、私はみゆきさんを罵ったり蔑んだりなんて考えは、
毛ほども心にはありません。
おそらくハガキを選んでいただいたであろう、「ポチ」こと寺崎要さんに感謝、です。
ポチはおたよりを選別するためだけに全国ツアーをまわっているぞ、なんてみゆきさんは言っていましたが、それだけコンサートをより楽しく盛り上げるためには欠かせない方なのでしょう。
この日に読まれたおたよりは6~7通ほどで、コーナーもコンサート中で一回きりだったので、
たくさん寄せられたであろう中から選んでいただき、本当に嬉しく、光栄に思います。
書き損じが手元に。ばかっぽい字です(笑)
(2011/4/28 追記)
中島みゆきオフィシャルサイト「でじなみ」内のコンテンツ、
中島みゆきTOUR2010ツアーレポートにおいて、今回のこのおたよりが紹介されています。
ポチさんによって、各会場選りすぐりの1通が紹介される中、
11月25日はこのタイピングミス謝罪おたよりが選ばれました。
オフィシャルサイトに掲載していいのでしょうか、こういうネタ。懐が深いですね。
恐悦至極であります。
おめもじでした。
明日は中島みゆきツアー2010 [Mの音楽]
明日11月25日、私は「中島みゆきTOUR2010」の東京公演を観覧するため国際フォーラムへ行く。
ファンクラブ枠で申し込んだチケットには一緒にポストカードが同封されてきた。
みゆきさんの「夜会」ではない通常のコンサートは初めてなので、いったいどんなものか楽しみにしている。
すでに先月から始まっているツアー、調べようと思えば今年はどんな曲が披露されているのかを知ることができるものの、そういう情報には一切触れないでいる。
コンサートツアーの開催を遡ると最近では2007年、2005年、2001年に行われており、今回のツアーは約3年ぶりということになるらしい。
今年はいったいどんなセットリストが組まれているのか、過去3回公演分の内容を参考に予想することにした。
まず2001年公演。
アンコール曲含め、全18曲で構成。後半9曲はすべて00年・01年にリリースされた新しいアルバムからの曲で構成、前半はそれより以前に発表されたアルバムから。
前半では「悪女」「空と君のあいだに」という2曲のビッグヒットをはさみつつ、ファン好みの名曲を配置。
次に2005年公演。
アンコール・メドレー曲含む全18曲構成。04年~05年にセルフカバーアルバムとスタジオライブアルバムの発売があったため、2001年公演に比べて昔の名曲が揃うセットリストになっている。
そこに「わかれうた」「銀の龍の背に乗って」「地上の星」といったヒットをちりばめ、アンコールのメドレーにもビッグヒットを配置。
夜会で多くみられる楽曲同士の相関関係を強く意識したであろう曲の流れが特徴的。
そしてDVD&CDでもリリースされた2007年公演。
日替わり曲3曲を含む、アンコール含め19曲で構成。06年・07年リリースの新しいアルバムから10曲が配置、2001年と似た傾向。
前半ではやや静かに歌い上げるような落ち着いた曲調の配置が目立ち、そして後半ではロック調の楽曲が集中し、パワフルなサウンドでたたみかけてフィナーレを迎える。
過去のコンサートのセットリストは、各公演ごとに特徴的な流れを持っており、構成も名曲で固めたベストアルバムを披露するような形ではない。
コンサート開催年と前年のアルバムからのセレクト比率も高め。夜会とコンサートの棲み分けもあるらしい。
以上の分析と「個人的な期待」を交えて、「中島みゆきTOUR2010」のセットリストを予想したい。
1.今日以来
2.黄砂に吹かれて
3.信じ難いもの
4.ひとり上手
5.孤独の肖像
6.ハリネズミだって恋をする
7.永遠の嘘をついてくれ
8.永久欠番
9.銀の竜の背に乗って
10.真夜中の動物園
11.サメの歌
12.愛だけを残せ
13.愛が私に命ずること
14.NOW
15.紅灯の海
16.地上の星
-アンコール-
17.負けんもんね
18.瞬きもせず
こうして、一応のところ予想したセットリストはこんな具合になった。
新しいアルバムからのセレクト、前後の曲同士の兼ね合い、色々考慮したつもりではあるけれど、考えれば考えるほど非常に難しく、ドツボにはまりかけてしまった時点で見切りをつけた。
さすがに曲も順番も完全一致などということはないと思うけども、「真夜中の動物園」と「銀の竜の背に乗って」が聴けたりすれば、もう本当に御の字である。
あるいはまだ私はまったく知らない曲が披露されて、また新たな魅力に気付くこともできるかもしれない。
私はどうも楽しみなことを予想しておいて、実際どうなるかを比較するのが好きらしい。
さてはともかく、みゆきさんとミュージシャンの方々の活躍をこの目と耳にしかと焼きつけたい。
おめもじでした。
ファンクラブ枠で申し込んだチケットには一緒にポストカードが同封されてきた。
みゆきさんの「夜会」ではない通常のコンサートは初めてなので、いったいどんなものか楽しみにしている。
すでに先月から始まっているツアー、調べようと思えば今年はどんな曲が披露されているのかを知ることができるものの、そういう情報には一切触れないでいる。
コンサートツアーの開催を遡ると最近では2007年、2005年、2001年に行われており、今回のツアーは約3年ぶりということになるらしい。
今年はいったいどんなセットリストが組まれているのか、過去3回公演分の内容を参考に予想することにした。
まず2001年公演。
アンコール曲含め、全18曲で構成。後半9曲はすべて00年・01年にリリースされた新しいアルバムからの曲で構成、前半はそれより以前に発表されたアルバムから。
前半では「悪女」「空と君のあいだに」という2曲のビッグヒットをはさみつつ、ファン好みの名曲を配置。
次に2005年公演。
アンコール・メドレー曲含む全18曲構成。04年~05年にセルフカバーアルバムとスタジオライブアルバムの発売があったため、2001年公演に比べて昔の名曲が揃うセットリストになっている。
そこに「わかれうた」「銀の龍の背に乗って」「地上の星」といったヒットをちりばめ、アンコールのメドレーにもビッグヒットを配置。
夜会で多くみられる楽曲同士の相関関係を強く意識したであろう曲の流れが特徴的。
そしてDVD&CDでもリリースされた2007年公演。
日替わり曲3曲を含む、アンコール含め19曲で構成。06年・07年リリースの新しいアルバムから10曲が配置、2001年と似た傾向。
前半ではやや静かに歌い上げるような落ち着いた曲調の配置が目立ち、そして後半ではロック調の楽曲が集中し、パワフルなサウンドでたたみかけてフィナーレを迎える。
過去のコンサートのセットリストは、各公演ごとに特徴的な流れを持っており、構成も名曲で固めたベストアルバムを披露するような形ではない。
コンサート開催年と前年のアルバムからのセレクト比率も高め。夜会とコンサートの棲み分けもあるらしい。
以上の分析と「個人的な期待」を交えて、「中島みゆきTOUR2010」のセットリストを予想したい。
1.今日以来
2.黄砂に吹かれて
3.信じ難いもの
4.ひとり上手
5.孤独の肖像
6.ハリネズミだって恋をする
7.永遠の嘘をついてくれ
8.永久欠番
9.銀の竜の背に乗って
10.真夜中の動物園
11.サメの歌
12.愛だけを残せ
13.愛が私に命ずること
14.NOW
15.紅灯の海
16.地上の星
-アンコール-
17.負けんもんね
18.瞬きもせず
こうして、一応のところ予想したセットリストはこんな具合になった。
新しいアルバムからのセレクト、前後の曲同士の兼ね合い、色々考慮したつもりではあるけれど、考えれば考えるほど非常に難しく、ドツボにはまりかけてしまった時点で見切りをつけた。
さすがに曲も順番も完全一致などということはないと思うけども、「真夜中の動物園」と「銀の竜の背に乗って」が聴けたりすれば、もう本当に御の字である。
あるいはまだ私はまったく知らない曲が披露されて、また新たな魅力に気付くこともできるかもしれない。
私はどうも楽しみなことを予想しておいて、実際どうなるかを比較するのが好きらしい。
さてはともかく、みゆきさんとミュージシャンの方々の活躍をこの目と耳にしかと焼きつけたい。
おめもじでした。
中島みゆき、ふたたび [Mの音楽]
ごぶさたしてました、みゆきさん。
昨日リリースされた新作アルバム「真夜中の動物園」、2曲目から次がなかなか聴けません。
少し話は変わりますが、石井ゆかりさんの今週の星占いを読み直してみたら、ちょっと面白い符合を見つけました。
2010/10/11-10/17 うお座の空模様。より引用し、括弧内は(私の解釈)です。
”ふと思い出して祈る女神の像(中島みゆきのアルバム)
というイメージが湧いてきました。
ずっと祈る(聴く)のを忘れて埃をかぶっていたその像(作品)に
もう一度祈ってみたら(耳を傾けてみたら) 不思議なことが起こるかもしれません。
憧れや信頼、心服、学ぶ心などの対象(中島みゆき)は
いつのまにか他のもの(マイケル・ジャクソン)につぎつぎとかわり、
古いものは埃をかぶって、心の片隅に置かれます。
でも、それらは威力を完全に失ってしまうことはなくて
いつも遠くから その人をふんわり、守ってくれているのかもしれません。
今週、そんな、以前自分の目標であったようなもの、
あるいは、守護神であったようなものを ふと、思い出すことになるかも知れません。
今の貴方にとって、その姿をもう一度見つめることは
たぶん、大きな意味があるのだろうと思うのです。”
私は2007年から中島みゆきさんの歌が好きになり、歌や表現への情熱に尊敬の念を抱くようにもなり、やがてコンサートに何度も足を運び、ファンクラブの会員になったりするまでヒートアップしていました。
しかし今年はほとんどみゆきさんのCDをまともに聴かない状態が続きました。
以前は毎朝、目覚まし代わりにみゆきさんの曲を浴びるほどでしたが、今年はマイケル・ジャクソン氏のダンスパフォーマンス、セシル・コルベルさんのケルティック・ハープなど新たな音楽の魅力に目覚める機会が多く、ぱったりとみゆきさんのCDを触らなくなっていました。
しかし他の新しいジャンルに耳目を奪われながらも、けっして私から「中島みゆき」が消え失せたわけではありませんでした。
ふとした時にみゆきさんの歌が口をついて出たり、今年のコンサートツアーにしっかり席を用意したり。
石井ゆかりさんの占いテキストのように、”いつも遠くから その人をふんわり、守ってくれているのかも”そんな風に思うとなんだか、照れくさいような気分でもありますが、辛い時、苦しい時、悩める時、自分ではわからない不安定な部分を美雪さんの歌が支えてきてくれたのかもしれない、そう思うと心許ない気分が不思議とやわらぎます。
みゆきさんの歌は不況の時代によく売れる…なんて言われているようですが、私も行き詰ってしんどい時期にみゆきさんの歌に気付きました。
刺さるように温かく、凍てつくように潤いをもたらしてくれました。
”今の貴方にとって、その姿をもう一度見つめることは
たぶん、大きな意味があるのだろうと思うのです。”
色々な他の魅力的な音楽に触れても。
再び「真夜中の動物園」をはじめとするみゆきさんとその作品に帰ってみること。
何か思いもよらぬところに発見があるのでしょうか。
何か見落としてきた忘れ物を思い出すのでしょうか。
あと一ヶ月もすれば、私は嫌でも(まったく嫌ではない)みゆきさんの歌をまんべんなく浴びることになります。
そのときまたごそごそみゆきさんのCDを取り出して、聴いたり聞き流したり、懲りもせず歌詞を追ったり意味を調べたりするのではなかろうかと、思います。
旅はまだ終わらない、ようです。
おめもじでした。
昨日リリースされた新作アルバム「真夜中の動物園」、2曲目から次がなかなか聴けません。
少し話は変わりますが、石井ゆかりさんの今週の星占いを読み直してみたら、ちょっと面白い符合を見つけました。
2010/10/11-10/17 うお座の空模様。より引用し、括弧内は(私の解釈)です。
”ふと思い出して祈る女神の像(中島みゆきのアルバム)
というイメージが湧いてきました。
ずっと祈る(聴く)のを忘れて埃をかぶっていたその像(作品)に
もう一度祈ってみたら(耳を傾けてみたら) 不思議なことが起こるかもしれません。
憧れや信頼、心服、学ぶ心などの対象(中島みゆき)は
いつのまにか他のもの(マイケル・ジャクソン)につぎつぎとかわり、
古いものは埃をかぶって、心の片隅に置かれます。
でも、それらは威力を完全に失ってしまうことはなくて
いつも遠くから その人をふんわり、守ってくれているのかもしれません。
今週、そんな、以前自分の目標であったようなもの、
あるいは、守護神であったようなものを ふと、思い出すことになるかも知れません。
今の貴方にとって、その姿をもう一度見つめることは
たぶん、大きな意味があるのだろうと思うのです。”
私は2007年から中島みゆきさんの歌が好きになり、歌や表現への情熱に尊敬の念を抱くようにもなり、やがてコンサートに何度も足を運び、ファンクラブの会員になったりするまでヒートアップしていました。
しかし今年はほとんどみゆきさんのCDをまともに聴かない状態が続きました。
以前は毎朝、目覚まし代わりにみゆきさんの曲を浴びるほどでしたが、今年はマイケル・ジャクソン氏のダンスパフォーマンス、セシル・コルベルさんのケルティック・ハープなど新たな音楽の魅力に目覚める機会が多く、ぱったりとみゆきさんのCDを触らなくなっていました。
しかし他の新しいジャンルに耳目を奪われながらも、けっして私から「中島みゆき」が消え失せたわけではありませんでした。
ふとした時にみゆきさんの歌が口をついて出たり、今年のコンサートツアーにしっかり席を用意したり。
石井ゆかりさんの占いテキストのように、”いつも遠くから その人をふんわり、守ってくれているのかも”そんな風に思うとなんだか、照れくさいような気分でもありますが、辛い時、苦しい時、悩める時、自分ではわからない不安定な部分を美雪さんの歌が支えてきてくれたのかもしれない、そう思うと心許ない気分が不思議とやわらぎます。
みゆきさんの歌は不況の時代によく売れる…なんて言われているようですが、私も行き詰ってしんどい時期にみゆきさんの歌に気付きました。
刺さるように温かく、凍てつくように潤いをもたらしてくれました。
”今の貴方にとって、その姿をもう一度見つめることは
たぶん、大きな意味があるのだろうと思うのです。”
色々な他の魅力的な音楽に触れても。
再び「真夜中の動物園」をはじめとするみゆきさんとその作品に帰ってみること。
何か思いもよらぬところに発見があるのでしょうか。
何か見落としてきた忘れ物を思い出すのでしょうか。
あと一ヶ月もすれば、私は嫌でも(まったく嫌ではない)みゆきさんの歌をまんべんなく浴びることになります。
そのときまたごそごそみゆきさんのCDを取り出して、聴いたり聞き流したり、懲りもせず歌詞を追ったり意味を調べたりするのではなかろうかと、思います。
旅はまだ終わらない、ようです。
おめもじでした。
Mの音楽-鳴り響く中島みゆきの動物園 [Mの音楽]
今日10月13日は、中島みゆきさんの新作アルバム「真夜中の動物園」の発売日。
「地上の星」の発表から、はや10年。新しい10年の幕開けを飾る新作がとうとう発売されました。ボーナストラック2曲を含む全12曲の作品です。
写真に映る冊子は、新星堂の店舗で配布されている「真夜中の動物園」の紹介冊子です。これを欲しいがために新星堂さんへ行き。
そしてCDアルバムを新星堂さんで買わずに。ポイントが付く家電量販店で買うという―。それはさておいて。
さっそく3150円のチケットを買って「真夜中の動物園」に入園することに。
最初に聴こえてくる曲は「今日以来」。
散々な過去の人生を振り返るフレーズから始まるこの曲、20年ちょっと生きたくらいの私に振り返るような人生もたいしてありません。と思った次の瞬間、聴こえてくる歌は。
”謝ったり 理由を持ち出すことで 何にどう後始末がつくのか”
つい先日、私は自分自身を許しがたい過ちを侵しました。見当違いの思い上がりで人を侮辱してしまい、都合上、その人へ直接謝れない数日間が苦しく、今もまだ気持ちが片付いていません。
アルバム1曲目からいきなりみゆきさんが最近のデリケートなところを突いてきました。
その次はタイトル曲「真夜中の動物園」。
なんというか…みゆきさんの新境地とでも言いたくなるような曲でした。アルバムの中でも際立った異彩を放つ楽曲であり、もっとも私が心惹かれる1曲になりました。
失われた魂たちが、動物園の縁の引力に導かれ時空を超えて結集する!はっきりわからないけど凄いダイナミック!
私は色々なみゆきさんの曲を聴いてきましたが、すべての曲を知っているわけではありません。
それでもこの「真夜中の動物園」は過去のどの曲とも異なる領域への一歩を踏み出しているような、聴いていてワクワクするような妙な高揚感があります。
Dada…というスキャット(歌詞ではない楽器代わりの声)を大いに活用した表現方法もかなり新鮮でした。
中島みゆきさんの身体そのものが楽器になっている!そんな迫力に満ちています。
このCD固定部のジャケット写真には、「真夜中の動物園」のエッセンスをとても感じるのです。この写真を採用したセンスにひやりとします。
ワイルドなビートを刻む感じが焚火の炎にダブってきたりします。
歌詞にある「地平線」という情景にもぴったり当てはまります。
明け方なのか夕方なのかわからない不明瞭な空の明るさ、人間の目にはわからない世界の境界線を感じさせます。
この曲の歌詞は、直接的ではないにせよ、宇宙・天文学的な世界や霊的な存在の視点、生態系の長い時間軸までもが感じられて、森羅万象さまざまな事象たちをみゆきさんが歌でパワフルにからめ取っていくような、とてもユニークな曲です。
そもそもこれはヒトが作った曲なのか?
人間にこんな歌詞が作れるのか?
「真夜中の動物園」を聴いているうちにこんな印象すら覚えます。
同時にこの曲の歌詞は去年公演されたみゆきさんの舞台、「夜会」で歌われた「幽霊交差点」という楽曲と通底する親戚のような印象を受けました。
なにもかも貫いて見通すような中島みゆきという世界のミステリーゾーンの深遠さ、まだまだ新しい世界が開けていく予感に胸躍ります。
いったんすべての収録曲を聴いた後、もう一度再生しても3曲目を聴く余裕などありません。
先週発売した本とコミックの情報雑誌「ダ・ヴィンチ」で中島みゆき特集が組まれていました。
アルバム発売とコンサートツアーにさきがける形で色々なインタビューや特集が掲載されており、なかでも私の目玉企画は糸井重里さんとみゆきさんの対談でした。
その中で糸井さんはアルバム「真夜中の動物園」に、ここから何かが始まる予感がしましたと述べていてそれを見つけたとき、勝手に”あ、わかるわかる!すっごいわかる!!”と目を丸くして共感しきりでした。
アルバムを聴いた後に記事を読み直すと色々と発見がありました。対談やインタビューの内容を呑み込む早さも違う事に自分でも驚いたりしつつ、「ダ・ヴィンチ11月号」の糸井さんとの対談はかなり面白く、「真夜中の動物園」のお伴によく合います。
ぜひ今年のコンサートツアーでは「真夜中の動物園」を聴きたいです。
セットリストに選ばれているといいな、と心底願わずにいられません。
おめもじでした。
「地上の星」の発表から、はや10年。新しい10年の幕開けを飾る新作がとうとう発売されました。ボーナストラック2曲を含む全12曲の作品です。
写真に映る冊子は、新星堂の店舗で配布されている「真夜中の動物園」の紹介冊子です。これを欲しいがために新星堂さんへ行き。
そしてCDアルバムを新星堂さんで買わずに。ポイントが付く家電量販店で買うという―。それはさておいて。
さっそく3150円のチケットを買って「真夜中の動物園」に入園することに。
最初に聴こえてくる曲は「今日以来」。
散々な過去の人生を振り返るフレーズから始まるこの曲、20年ちょっと生きたくらいの私に振り返るような人生もたいしてありません。と思った次の瞬間、聴こえてくる歌は。
”謝ったり 理由を持ち出すことで 何にどう後始末がつくのか”
つい先日、私は自分自身を許しがたい過ちを侵しました。見当違いの思い上がりで人を侮辱してしまい、都合上、その人へ直接謝れない数日間が苦しく、今もまだ気持ちが片付いていません。
アルバム1曲目からいきなりみゆきさんが最近のデリケートなところを突いてきました。
その次はタイトル曲「真夜中の動物園」。
なんというか…みゆきさんの新境地とでも言いたくなるような曲でした。アルバムの中でも際立った異彩を放つ楽曲であり、もっとも私が心惹かれる1曲になりました。
失われた魂たちが、動物園の縁の引力に導かれ時空を超えて結集する!はっきりわからないけど凄いダイナミック!
私は色々なみゆきさんの曲を聴いてきましたが、すべての曲を知っているわけではありません。
それでもこの「真夜中の動物園」は過去のどの曲とも異なる領域への一歩を踏み出しているような、聴いていてワクワクするような妙な高揚感があります。
Dada…というスキャット(歌詞ではない楽器代わりの声)を大いに活用した表現方法もかなり新鮮でした。
中島みゆきさんの身体そのものが楽器になっている!そんな迫力に満ちています。
このCD固定部のジャケット写真には、「真夜中の動物園」のエッセンスをとても感じるのです。この写真を採用したセンスにひやりとします。
ワイルドなビートを刻む感じが焚火の炎にダブってきたりします。
歌詞にある「地平線」という情景にもぴったり当てはまります。
明け方なのか夕方なのかわからない不明瞭な空の明るさ、人間の目にはわからない世界の境界線を感じさせます。
この曲の歌詞は、直接的ではないにせよ、宇宙・天文学的な世界や霊的な存在の視点、生態系の長い時間軸までもが感じられて、森羅万象さまざまな事象たちをみゆきさんが歌でパワフルにからめ取っていくような、とてもユニークな曲です。
そもそもこれはヒトが作った曲なのか?
人間にこんな歌詞が作れるのか?
「真夜中の動物園」を聴いているうちにこんな印象すら覚えます。
同時にこの曲の歌詞は去年公演されたみゆきさんの舞台、「夜会」で歌われた「幽霊交差点」という楽曲と通底する親戚のような印象を受けました。
なにもかも貫いて見通すような中島みゆきという世界のミステリーゾーンの深遠さ、まだまだ新しい世界が開けていく予感に胸躍ります。
いったんすべての収録曲を聴いた後、もう一度再生しても3曲目を聴く余裕などありません。
先週発売した本とコミックの情報雑誌「ダ・ヴィンチ」で中島みゆき特集が組まれていました。
アルバム発売とコンサートツアーにさきがける形で色々なインタビューや特集が掲載されており、なかでも私の目玉企画は糸井重里さんとみゆきさんの対談でした。
その中で糸井さんはアルバム「真夜中の動物園」に、ここから何かが始まる予感がしましたと述べていてそれを見つけたとき、勝手に”あ、わかるわかる!すっごいわかる!!”と目を丸くして共感しきりでした。
アルバムを聴いた後に記事を読み直すと色々と発見がありました。対談やインタビューの内容を呑み込む早さも違う事に自分でも驚いたりしつつ、「ダ・ヴィンチ11月号」の糸井さんとの対談はかなり面白く、「真夜中の動物園」のお伴によく合います。
ぜひ今年のコンサートツアーでは「真夜中の動物園」を聴きたいです。
セットリストに選ばれているといいな、と心底願わずにいられません。
おめもじでした。
踊れ、東京タワー [Mの音楽]
昨日、マイケル・ジャクソン公式展を観に行くべく東京タワーに行きました。
この展覧会ではマイケル生前のゆかりの品が衣装から私物の自動車まで一堂に会場に集められているものでした。
さすがに日曜日、すでにマイケル展への行列ができており、とりあえず列が落ち着くまで東京タワーの「大展望台」に昇ってみることにしました。大展望台(高さ約150m)はタワー真ん中あたりの白いブロックの場所で、専用のエレベーターに乗っていくと1分前後の短時間で辿り着きます。
階段を使って「自力」で昇ることもできるようでしたが、「昇り」はさすがにしんどそうなので列に並んでエレベーターを使いました。
高度150mから眺めるタワー近辺の景色。遠くのビルの間に白いもやのようなものが立ち込めているように見えました。
まさかこれが…温室効果ガス?それとも高い湿度のせい? 東京という土地のせいか、
変な先入観でもやを見てしまいましたが、遠くのものがうっすら白くかすむように見えるのは、普通のことです。
フロア内の喫茶スペースでしばらく外を眺めながら食事をした後、マイケル展を観に行くため展望台を降りることにしました。
その日、「階段」が解放されており、エレベーターの行列を遠慮したので、「自分の足」を働かせることにしました。
ほほう…600段とな…
こんな赤い階段をぐるぐるとひたすら下りました。
私は高いところが苦手なのですが、まわりは鉄骨と金網で囲まれているためか、さほど高さが気になりませんでした。
むしろ今まで居た密閉された展望台よりも、外にひらけた空気のすがすがしさを心地よく感じました。
また、ここは昇りの階段とも隣り合うようにつくられており、たまに階段を昇っていかれるチャレンジャーをみかけました。
このような階段をひたすら下ってタワー土台部分の建物の屋上へ着くのでした。
東京タワーを楽しんだ後はマイケル公式展へ。
マイケル展チケットは展望台チケットの半券を提示すると10%OFFになりました。
私はマイケル・ジャクソンに興味を持つようになって日が浅いので、展示内容にあまり食い入って見る気も興らず、丁寧にパンパンに並ぶ列を横目に会場を歩きました。
しかし!
先日DVDデンジャラスツアーで実際にマイケルが着用していたジャケット、THIS IS ITツアーで着用予定だった数々のステージ衣装の実物はしっかり見てきました。
なんといってもゴージャス。そしてシック。
上下全身にちりばめられたスワロフスキークリスタルがついたまばゆい衣装。
細身のシルエットのスーツに施された繊細に輝く装飾。
世界各国の伝統的な文様をつなぎあわせつくられた、ゴールドのスパンコールが輝くヒール・ザ・ワールド用の衣装。
衣装とコーディネイトされたマイケル専用のダンスローファー、靴底に刺しゅうされた金色の銘。
物言わぬ服飾品がマイケル・ジャクソンという存在のスケールを雄弁に物語っていました。
この92年のデンジャラスツアーで実際にマイケルが着用していたビキニジャケットを生で見ることができました。
これは一見奇抜に見えますが、大変巧妙な衣装だと私は思います。
金色のビキニジャケットにブラックのパンツと白いソックスというコーディネイト。
まずダンスの動きやすさを確保するため、パンツの丈は足首が見えるくらいに短いです。
しかしソックスの白さが「目印」として機能し、遠くからでも足の動きを把握しやすい点があります。
しかし丈の短さによって足が短く見えてしまうところを、金のビキニジャケットが大胆にカバーします。
股間のV字によって腰から足のシルエットがつながるように見えるため、足が短く見えずにスタイリッシュなダンスを演出しています。私はこの衣装大好きです。
そうして会場をあとにすると、ロビーの外でなにやら賑わった人だかりができており、
マイケルナンバーが聞こえてきます。
そこでは小学2~3年生くらいの少年二人がマイケルのステージ衣装を着て、
ダンスを披露していました。
後方にマイケルナンバーをミックスしているDJの方がいて、土日のマイケルイベントとしてこの場があることがわかりました。
しばらく様子を観ていると、少年の後で体をゆすったり踊ったりしている人20名ほどおり、
その中に一般のお客さんも混じっていた様子でした。
私も大好きなマイケルナンバーを聞いていると動きたくなってきました。
そうか、あの人達の近くに行けば踊ったりしても平気じゃないか?とふんだ私はそこへ突入しました。
踊りました。
身体をゆすってノるだけじゃ面白くありません。私は踊る阿呆になることを決心。
マイケル楽曲のビートにあわせてキビキビ動くのは本当に楽しいのです。
他の人はマイケルの曲ごとのダンスを覚えている感じでしたが、私はほとんど知りません。
マイケルっぽい動きをとりいれてオリジナルダンスをしかけます。
メリハリのある動きだけなら前でダンスしていたマイケル少年ふたりに負けていなかったと思います。(爆)
ただでさえ蒸し暑いのも気にせず、汗をかいて踊りました。楽しかったです。
今日は若干、筋肉痛気味でした。
おめもじでした。
この展覧会ではマイケル生前のゆかりの品が衣装から私物の自動車まで一堂に会場に集められているものでした。
さすがに日曜日、すでにマイケル展への行列ができており、とりあえず列が落ち着くまで東京タワーの「大展望台」に昇ってみることにしました。大展望台(高さ約150m)はタワー真ん中あたりの白いブロックの場所で、専用のエレベーターに乗っていくと1分前後の短時間で辿り着きます。
階段を使って「自力」で昇ることもできるようでしたが、「昇り」はさすがにしんどそうなので列に並んでエレベーターを使いました。
高度150mから眺めるタワー近辺の景色。遠くのビルの間に白いもやのようなものが立ち込めているように見えました。
まさかこれが…温室効果ガス?それとも高い湿度のせい? 東京という土地のせいか、
変な先入観でもやを見てしまいましたが、遠くのものがうっすら白くかすむように見えるのは、普通のことです。
フロア内の喫茶スペースでしばらく外を眺めながら食事をした後、マイケル展を観に行くため展望台を降りることにしました。
その日、「階段」が解放されており、エレベーターの行列を遠慮したので、「自分の足」を働かせることにしました。
ほほう…600段とな…
こんな赤い階段をぐるぐるとひたすら下りました。
私は高いところが苦手なのですが、まわりは鉄骨と金網で囲まれているためか、さほど高さが気になりませんでした。
むしろ今まで居た密閉された展望台よりも、外にひらけた空気のすがすがしさを心地よく感じました。
また、ここは昇りの階段とも隣り合うようにつくられており、たまに階段を昇っていかれるチャレンジャーをみかけました。
このような階段をひたすら下ってタワー土台部分の建物の屋上へ着くのでした。
東京タワーを楽しんだ後はマイケル公式展へ。
マイケル展チケットは展望台チケットの半券を提示すると10%OFFになりました。
私はマイケル・ジャクソンに興味を持つようになって日が浅いので、展示内容にあまり食い入って見る気も興らず、丁寧にパンパンに並ぶ列を横目に会場を歩きました。
しかし!
先日DVDデンジャラスツアーで実際にマイケルが着用していたジャケット、THIS IS ITツアーで着用予定だった数々のステージ衣装の実物はしっかり見てきました。
なんといってもゴージャス。そしてシック。
上下全身にちりばめられたスワロフスキークリスタルがついたまばゆい衣装。
細身のシルエットのスーツに施された繊細に輝く装飾。
世界各国の伝統的な文様をつなぎあわせつくられた、ゴールドのスパンコールが輝くヒール・ザ・ワールド用の衣装。
衣装とコーディネイトされたマイケル専用のダンスローファー、靴底に刺しゅうされた金色の銘。
物言わぬ服飾品がマイケル・ジャクソンという存在のスケールを雄弁に物語っていました。
この92年のデンジャラスツアーで実際にマイケルが着用していたビキニジャケットを生で見ることができました。
これは一見奇抜に見えますが、大変巧妙な衣装だと私は思います。
金色のビキニジャケットにブラックのパンツと白いソックスというコーディネイト。
まずダンスの動きやすさを確保するため、パンツの丈は足首が見えるくらいに短いです。
しかしソックスの白さが「目印」として機能し、遠くからでも足の動きを把握しやすい点があります。
しかし丈の短さによって足が短く見えてしまうところを、金のビキニジャケットが大胆にカバーします。
股間のV字によって腰から足のシルエットがつながるように見えるため、足が短く見えずにスタイリッシュなダンスを演出しています。私はこの衣装大好きです。
そうして会場をあとにすると、ロビーの外でなにやら賑わった人だかりができており、
マイケルナンバーが聞こえてきます。
そこでは小学2~3年生くらいの少年二人がマイケルのステージ衣装を着て、
ダンスを披露していました。
後方にマイケルナンバーをミックスしているDJの方がいて、土日のマイケルイベントとしてこの場があることがわかりました。
しばらく様子を観ていると、少年の後で体をゆすったり踊ったりしている人20名ほどおり、
その中に一般のお客さんも混じっていた様子でした。
私も大好きなマイケルナンバーを聞いていると動きたくなってきました。
そうか、あの人達の近くに行けば踊ったりしても平気じゃないか?とふんだ私はそこへ突入しました。
踊りました。
身体をゆすってノるだけじゃ面白くありません。私は踊る阿呆になることを決心。
マイケル楽曲のビートにあわせてキビキビ動くのは本当に楽しいのです。
他の人はマイケルの曲ごとのダンスを覚えている感じでしたが、私はほとんど知りません。
マイケルっぽい動きをとりいれてオリジナルダンスをしかけます。
メリハリのある動きだけなら前でダンスしていたマイケル少年ふたりに負けていなかったと思います。(爆)
ただでさえ蒸し暑いのも気にせず、汗をかいて踊りました。楽しかったです。
今日は若干、筋肉痛気味でした。
おめもじでした。
タグ:マイケル・ジャクソン イベント
マイケル・ジャクソン一周忌 [Mの音楽]
今日6月25日はマイケル・ジャクソン氏の命日になる。
しかし1年前の私はたいして気にしていなかった。
そのとき私にとってマイケル氏の訃報は、聞いたことのある有名なスターの死亡というだけだった。
今では毎日のようにマイケル楽曲に親しんでいるというのに。
今週、ネットでマイケルジャクソンのライヴ・イン・ブカレストDVDを注文し今日、それが届いた。
到着予定は明日の26日とされていたが1日早く届いた。今回に関してはそういうものなのだと思っておきたい。
これは先日落札したライヴ・イン・ブカレストの「正規盤」で、マイケル氏の意向を反映して会場のファンの様子や会場全体を俯瞰するようなカットをはさむ編集になっている。
なによりありがたいことにこれは正規商品のため、日本語訳詞・字幕付き!
それらおかげで、以前視聴したときよりもグッと曲の情感やメッセージがダイレクトに伝わってきた。
また、恍惚の表情を浮かべながら失神し運ばれていくファンや、歓喜の声と狂喜乱舞する会場などのカットに対してマイケルのパフォーマンス以外の映像は余計だ、とする意見もわかるが、これらの場面が挿入されることで場のムードや、臨場感を表現することには一定の効果が確かにあると思う。
今日は命日という事でマイケル・ジャクソン特番がテレビで放送されていたようだが、私はこのライヴDVDを観ていた。
もういいかげん、ゴシップを引き合いにしてマイケル氏の良き人間性を語らずとも、その人格から生まれたパフォーマンスを一度観ることの方がマイケル氏の人間性をまっすぐに理解しやすいと思う。
このDVDに収められたデンジャラス・ツアーの最後の2曲「ヒール・ザ・ワールド」「マン・イン・ザ・ミラー」を観ると、本当の黒いゴシップでさわがれるような人物には到底表現できないメッセージが込められていると、私は思う。
この場面は油断すると、ファンの涙につられてもらい泣きしそうになってしまう。
前述の通り以前に手入れたDVDはファンや会場の様子をあまり映さない編集だったため、良くも悪くも感情的になりにくかったが、本当に感動しているファンをきれいに映した編集はそんなに言うほど悪くない、と思った。
「ヒール・ザ・ワールド」では今この世界をよりよい場所にしようというメッセージ、次の「マン・イン・ザ・ミラー」で自分たちからよりよく変わっていこう!というメッセージが続く。
ほんの小さな空間を見つけ、そこを住みやすい場所にしよう、という歌詞には個人的に物の整理へのやる気までもいただいてしまった。
それとは別に、こういった有機的に曲をつなげていく見せ方は中島みゆきさんの「夜会」に通ずる表現手法だと思った。
他にもこのライヴ中に「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」で愛のデュエットをした後、デュエット相手の女性ボーカリストがステージから消えて「あの娘が消えた」へつなげて曲同士の情感を補完しながら高めていくあたり、私には「夜会」の手法とだぶって見えて興味深かった。
マイケル・ジャクソン氏は亡くなってしまったが、私の中ではますます躍動感のある生を帯びた強烈であたたかい存在になっている。
最後にデンジャラスツアーでも幻の「THIS IS IT」ツアーでもラストを飾る楽曲「マン・イン・ザ・ミラー」をご紹介。
おめもじでした。
しかし1年前の私はたいして気にしていなかった。
そのとき私にとってマイケル氏の訃報は、聞いたことのある有名なスターの死亡というだけだった。
今では毎日のようにマイケル楽曲に親しんでいるというのに。
今週、ネットでマイケルジャクソンのライヴ・イン・ブカレストDVDを注文し今日、それが届いた。
到着予定は明日の26日とされていたが1日早く届いた。今回に関してはそういうものなのだと思っておきたい。
これは先日落札したライヴ・イン・ブカレストの「正規盤」で、マイケル氏の意向を反映して会場のファンの様子や会場全体を俯瞰するようなカットをはさむ編集になっている。
なによりありがたいことにこれは正規商品のため、日本語訳詞・字幕付き!
それらおかげで、以前視聴したときよりもグッと曲の情感やメッセージがダイレクトに伝わってきた。
また、恍惚の表情を浮かべながら失神し運ばれていくファンや、歓喜の声と狂喜乱舞する会場などのカットに対してマイケルのパフォーマンス以外の映像は余計だ、とする意見もわかるが、これらの場面が挿入されることで場のムードや、臨場感を表現することには一定の効果が確かにあると思う。
今日は命日という事でマイケル・ジャクソン特番がテレビで放送されていたようだが、私はこのライヴDVDを観ていた。
もういいかげん、ゴシップを引き合いにしてマイケル氏の良き人間性を語らずとも、その人格から生まれたパフォーマンスを一度観ることの方がマイケル氏の人間性をまっすぐに理解しやすいと思う。
このDVDに収められたデンジャラス・ツアーの最後の2曲「ヒール・ザ・ワールド」「マン・イン・ザ・ミラー」を観ると、本当の黒いゴシップでさわがれるような人物には到底表現できないメッセージが込められていると、私は思う。
この場面は油断すると、ファンの涙につられてもらい泣きしそうになってしまう。
前述の通り以前に手入れたDVDはファンや会場の様子をあまり映さない編集だったため、良くも悪くも感情的になりにくかったが、本当に感動しているファンをきれいに映した編集はそんなに言うほど悪くない、と思った。
「ヒール・ザ・ワールド」では今この世界をよりよい場所にしようというメッセージ、次の「マン・イン・ザ・ミラー」で自分たちからよりよく変わっていこう!というメッセージが続く。
ほんの小さな空間を見つけ、そこを住みやすい場所にしよう、という歌詞には個人的に物の整理へのやる気までもいただいてしまった。
それとは別に、こういった有機的に曲をつなげていく見せ方は中島みゆきさんの「夜会」に通ずる表現手法だと思った。
他にもこのライヴ中に「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」で愛のデュエットをした後、デュエット相手の女性ボーカリストがステージから消えて「あの娘が消えた」へつなげて曲同士の情感を補完しながら高めていくあたり、私には「夜会」の手法とだぶって見えて興味深かった。
マイケル・ジャクソン氏は亡くなってしまったが、私の中ではますます躍動感のある生を帯びた強烈であたたかい存在になっている。
最後にデンジャラスツアーでも幻の「THIS IS IT」ツアーでもラストを飾る楽曲「マン・イン・ザ・ミラー」をご紹介。
おめもじでした。
タグ:音楽 マイケル・ジャクソン
Mの音楽 「THIS IS IT」 CD篇 [Mの音楽]
マイケル死すとも音楽は死せず。
マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」を観てからというもの、マイケル楽曲の魅力に気付き始めました。
「THIS IS IT」はDVD&ブルーレイの映像作品の他に、ロンドンのコンサートで予定されていたセットリストを収録した同タイトルのCDがあります。
先月、私が貯めていたヨドバシカメラの1300円分のポイントが有効期限切れで失効されるという通知郵便を受け取り、迷わずこのCDの購入代金に充てました。およそ半額で素晴らしい音楽を買うことができました。
全16曲、圧倒的な完成度の楽曲が勢ぞろい。んダッ!大規模なコンサートにふさわしい名曲がひしめくこのアルバム。
第1曲目は「スタート・サムシング」、続いて「ジャム」。さらに以前にも紹介した「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」。しょっぱなから飛ばしまくりです。これだけ飛ばせるのもそれだけ後に控えた楽曲の完成度も高いということを証明しているかのようです。
この流れに緩急をつけるのが、4曲目の82年アルバム「スリラー」収録の「Human Nature」(ヒューマン・ネイチャー)。しっとりとした優しげな歌声で披露されるバラード。派手な曲が目立つマイケル楽曲ですが、幅広いテイストの曲を歌い、表現していることを最近になって知りました。
ヒューマン・ネイチャーでは息継ぎのノイズがとても静かで、丁寧な呼吸をして歌っていることがわかります。
ちょうど4の倍数のタイミングで4・8・12曲目はこのようなやや落ち着いた「聴かせる」曲が挿入され、アルバムの流れにメリハリがあり、ヘビーローテーションで聴いても飽きがきません。
6曲目は87年アルバム「BAD」収録の「The Way You Make Me Feel」(ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール) 軽快なテンポで刻まれるビート、コーラスと掛け合っていく広がりのある立体的な歌声が披露されます。
このアルバムの中では特に楽しげな雰囲気の曲で、アップテンポで緊張感のある序盤の雰囲気はこの曲で切り替わり、軽快さで聴かせる曲を中心になっていきます。
13曲目、82年アルバム「スリラー」収録の「Billie Jean」(ビリー・ジーン) 確か「THIS IS IT」の中で、この曲は完璧であるからどこも余計なアレンジをする必要はない、ということを言っていた…うろ覚えですが、それだけ屈指の完成度を誇る曲なのでしょう。
シンプルなビートの刻みにいつのまにか引き込まれている、癖になる魅力が特に強い曲です。マイケル氏はよくこの曲でムーン・ウォークを披露していた模様です。
かいつまんでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」から3曲のご紹介でした。
このアルバムは新規の録音ではないようですが、まだ1枚もマイケルCDを持っていない私にはこのCD収録曲は最高のセレクトでした。映画で使用された音源を収録したCDがあればぜひとも欲しいところです。
本当にマイケル氏の急逝と「THIS IS IT」コンサートの中止は残念ですが、このきっかけがあったからこそ私はマイケル楽曲に親しむようになりました。
音楽の楽しさ、喜び、このエネルギッシュな楽曲に本当にパワーをもらっています。
ますます同世代の人たちの音楽趣味から離れていく私ですが、自分でも想像できない音楽ジャンルへのめりこんでいくことはとてもエキサイティングな気分です。
私が中島みゆきとマイケル・ジャクソンが特に好きだと人に言うと、年上の人なら意外だと言われ、同世代の人だと特に反応されません。
本当に近頃、この「THIS IS IT」を頻繁に聞いています。それまで私のオーディオは過去2年ほど中島みゆきメインに演奏していましたが、今やオーディオはマイケルにジャックされつつあります。
みゆきさんの曲ばかり聴き続けた反動なのか、マイケル楽曲が新鮮でたまりません。
最近とても耳が楽しそうであります。
おめもじでした。
マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」を観てからというもの、マイケル楽曲の魅力に気付き始めました。
「THIS IS IT」はDVD&ブルーレイの映像作品の他に、ロンドンのコンサートで予定されていたセットリストを収録した同タイトルのCDがあります。
先月、私が貯めていたヨドバシカメラの1300円分のポイントが有効期限切れで失効されるという通知郵便を受け取り、迷わずこのCDの購入代金に充てました。およそ半額で素晴らしい音楽を買うことができました。
全16曲、圧倒的な完成度の楽曲が勢ぞろい。んダッ!大規模なコンサートにふさわしい名曲がひしめくこのアルバム。
第1曲目は「スタート・サムシング」、続いて「ジャム」。さらに以前にも紹介した「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」。しょっぱなから飛ばしまくりです。これだけ飛ばせるのもそれだけ後に控えた楽曲の完成度も高いということを証明しているかのようです。
この流れに緩急をつけるのが、4曲目の82年アルバム「スリラー」収録の「Human Nature」(ヒューマン・ネイチャー)。しっとりとした優しげな歌声で披露されるバラード。派手な曲が目立つマイケル楽曲ですが、幅広いテイストの曲を歌い、表現していることを最近になって知りました。
ヒューマン・ネイチャーでは息継ぎのノイズがとても静かで、丁寧な呼吸をして歌っていることがわかります。
ちょうど4の倍数のタイミングで4・8・12曲目はこのようなやや落ち着いた「聴かせる」曲が挿入され、アルバムの流れにメリハリがあり、ヘビーローテーションで聴いても飽きがきません。
6曲目は87年アルバム「BAD」収録の「The Way You Make Me Feel」(ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール) 軽快なテンポで刻まれるビート、コーラスと掛け合っていく広がりのある立体的な歌声が披露されます。
このアルバムの中では特に楽しげな雰囲気の曲で、アップテンポで緊張感のある序盤の雰囲気はこの曲で切り替わり、軽快さで聴かせる曲を中心になっていきます。
13曲目、82年アルバム「スリラー」収録の「Billie Jean」(ビリー・ジーン) 確か「THIS IS IT」の中で、この曲は完璧であるからどこも余計なアレンジをする必要はない、ということを言っていた…うろ覚えですが、それだけ屈指の完成度を誇る曲なのでしょう。
シンプルなビートの刻みにいつのまにか引き込まれている、癖になる魅力が特に強い曲です。マイケル氏はよくこの曲でムーン・ウォークを披露していた模様です。
かいつまんでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」から3曲のご紹介でした。
このアルバムは新規の録音ではないようですが、まだ1枚もマイケルCDを持っていない私にはこのCD収録曲は最高のセレクトでした。映画で使用された音源を収録したCDがあればぜひとも欲しいところです。
本当にマイケル氏の急逝と「THIS IS IT」コンサートの中止は残念ですが、このきっかけがあったからこそ私はマイケル楽曲に親しむようになりました。
音楽の楽しさ、喜び、このエネルギッシュな楽曲に本当にパワーをもらっています。
ますます同世代の人たちの音楽趣味から離れていく私ですが、自分でも想像できない音楽ジャンルへのめりこんでいくことはとてもエキサイティングな気分です。
私が中島みゆきとマイケル・ジャクソンが特に好きだと人に言うと、年上の人なら意外だと言われ、同世代の人だと特に反応されません。
本当に近頃、この「THIS IS IT」を頻繁に聞いています。それまで私のオーディオは過去2年ほど中島みゆきメインに演奏していましたが、今やオーディオはマイケルにジャックされつつあります。
みゆきさんの曲ばかり聴き続けた反動なのか、マイケル楽曲が新鮮でたまりません。
最近とても耳が楽しそうであります。
おめもじでした。
タグ:マイケル・ジャクソン 音楽
Mの音楽 「夜会VOL.10 海嘯」 [Mの音楽]
本日、2月23日は中島みゆきさん58回目の誕生日でございます。おめでとう御座います。
このめでたい日をもって、みゆきさんの「夜会VOL.10 海嘯 ”かいしょう”」のDVDの解禁日といたしました。
「夜会」とは中島みゆきさんが主演・脚本・舞台構成をつとめ、89年から続く舞台演出を伴う演劇的なコンサートです。
今日は98年に行われた第10回目の夜会コンサートのDVDを観ました。このDVD自体はすでに去年の年始の時点で持っていましたが、数ある「夜会」は長期的に楽しむものとしているので、ゆっくり鑑賞する事にしています。
実に1年2カ月の沈黙を破っての鑑賞解禁です。
海嘯(かいしょう)とは河を逆流して、海から高い波が押し寄せる現象のことであり、
しばしば津波と混同される自然現象を意味します。
海が嘯く(うそぶく)と書いて海嘯。
この夜会の主人公は中島みゆき扮する、水上繭(みなかみ まゆ)という女性実業家。
水上繭は両親の仇のために復讐をなそうとする企みから、「偽名」を使っています。
「繭」という名も、外からは中の大事な部分が見えないものという暗喩である気がします。
その復讐の達成は水上繭の夢と語られ、全ての準備が整い後は実行に移すのみというところまで達するも、結果として復讐を果たすことなく終わります。
この夜会では「夢」という言葉のついた曲が多く、あらゆる表現を担う言葉として「夢」が扱われます。
それは生きる目的、切実なただひとつの希望、願いであると同時に夢という曖昧な言葉に包んだまやかしであるように映ります。
夢の起こりは過去の出来事から生まれるも、常に未来の方へ向くものであり、
その指向性を支える軸は他ならぬ「今」であると歌われている気がします。
例え過去に何があろうとも、その人が今生きることをおざなりにしてはいけない、
その人自身が過去に捉われた夢に縛られても、その夢が解放への道しるべにならんことを同時に願うような、みゆきさんの意図があるような気がします。
夢という理想や目的を持ち日々を生きていく事それ自体は尊いものであると思います。
しかし夢が達成されるか否かという二元論、また夢そのものが実は本人が真に望むものではないと理解した時、かけがえのない夢達の重みを天秤にかけて、どちらかを放棄せざるを得ない時。
この現実に起こりうる葛藤や矛盾、ギャップに対して何をもって答えとすればよいか。
答えのない答えを導き出さねばならない時、人はいかにすべきか。
初めて見終えた感想としてはみゆきさんから実に漠然とした、しかし抜き差しならない宿題を出されたような気分になりました。
私は去年の冬の16回目の夜会を劇場で観ましたが、みゆきさん自身こういった答えなき答えを探し求めているような、本質的には同じ何事かを掴むためにこの夜会を続けているのかな、と海嘯を観つつそんな事を思いました。
物語りの筋道や道理などは抜きにして、やっぱりみゆきさんの歌は本当に聴きごたえがあります。
歌いたい歌を聴きたい人へ届け続けたその歌声は深みと広がりがあります。
すごいです。もんのすごいです。
同夜会の舞台キャストである香坂千晶さんの演技も見所。ユーモラスな場面もシリアスな場面も幅広くこなす迫力の演技も見逃せないポイントです。
そんな夜会・海嘯で私が気に入っている楽曲の一部をここにご紹介。
夜会VOL.10・海嘯より 「白菊」
夜会VOL.10・海嘯より 「難破船」 埋め込みができない動画なので、リンクを貼ります。
http://www.youtube.com/watch?v=zI9st8Flgqo
難破船を聴くとゾクゾクします。
みゆきさん、いつも心にグッとくる音楽をありがとうございます。
おめもじでした。
このめでたい日をもって、みゆきさんの「夜会VOL.10 海嘯 ”かいしょう”」のDVDの解禁日といたしました。
「夜会」とは中島みゆきさんが主演・脚本・舞台構成をつとめ、89年から続く舞台演出を伴う演劇的なコンサートです。
今日は98年に行われた第10回目の夜会コンサートのDVDを観ました。このDVD自体はすでに去年の年始の時点で持っていましたが、数ある「夜会」は長期的に楽しむものとしているので、ゆっくり鑑賞する事にしています。
実に1年2カ月の沈黙を破っての鑑賞解禁です。
海嘯(かいしょう)とは河を逆流して、海から高い波が押し寄せる現象のことであり、
しばしば津波と混同される自然現象を意味します。
海が嘯く(うそぶく)と書いて海嘯。
この夜会の主人公は中島みゆき扮する、水上繭(みなかみ まゆ)という女性実業家。
水上繭は両親の仇のために復讐をなそうとする企みから、「偽名」を使っています。
「繭」という名も、外からは中の大事な部分が見えないものという暗喩である気がします。
その復讐の達成は水上繭の夢と語られ、全ての準備が整い後は実行に移すのみというところまで達するも、結果として復讐を果たすことなく終わります。
この夜会では「夢」という言葉のついた曲が多く、あらゆる表現を担う言葉として「夢」が扱われます。
それは生きる目的、切実なただひとつの希望、願いであると同時に夢という曖昧な言葉に包んだまやかしであるように映ります。
夢の起こりは過去の出来事から生まれるも、常に未来の方へ向くものであり、
その指向性を支える軸は他ならぬ「今」であると歌われている気がします。
例え過去に何があろうとも、その人が今生きることをおざなりにしてはいけない、
その人自身が過去に捉われた夢に縛られても、その夢が解放への道しるべにならんことを同時に願うような、みゆきさんの意図があるような気がします。
夢という理想や目的を持ち日々を生きていく事それ自体は尊いものであると思います。
しかし夢が達成されるか否かという二元論、また夢そのものが実は本人が真に望むものではないと理解した時、かけがえのない夢達の重みを天秤にかけて、どちらかを放棄せざるを得ない時。
この現実に起こりうる葛藤や矛盾、ギャップに対して何をもって答えとすればよいか。
答えのない答えを導き出さねばならない時、人はいかにすべきか。
初めて見終えた感想としてはみゆきさんから実に漠然とした、しかし抜き差しならない宿題を出されたような気分になりました。
私は去年の冬の16回目の夜会を劇場で観ましたが、みゆきさん自身こういった答えなき答えを探し求めているような、本質的には同じ何事かを掴むためにこの夜会を続けているのかな、と海嘯を観つつそんな事を思いました。
物語りの筋道や道理などは抜きにして、やっぱりみゆきさんの歌は本当に聴きごたえがあります。
歌いたい歌を聴きたい人へ届け続けたその歌声は深みと広がりがあります。
すごいです。もんのすごいです。
同夜会の舞台キャストである香坂千晶さんの演技も見所。ユーモラスな場面もシリアスな場面も幅広くこなす迫力の演技も見逃せないポイントです。
そんな夜会・海嘯で私が気に入っている楽曲の一部をここにご紹介。
夜会VOL.10・海嘯より 「白菊」
夜会VOL.10・海嘯より 「難破船」 埋め込みができない動画なので、リンクを貼ります。
http://www.youtube.com/watch?v=zI9st8Flgqo
難破船を聴くとゾクゾクします。
みゆきさん、いつも心にグッとくる音楽をありがとうございます。
おめもじでした。
Mの音楽 「THIS IS IT」 [Mの音楽]
マイケル・ジャクソン氏の急逝により、幻のコンサートとなった「THIS IS IT」。
そのリハーサルの様子を編集したドキュメンタリー映画「THIS IS IT」のDVDを購入した。去年、私はこの映画を見るため、二度劇場へ足を運ぶも公開最終日だったリピート日は満員御礼、出遅れた私はやむなく引き返した。
リピートしようと思っただけあって自然とDVDは買い求めたいと思っていた。そして昨日今日と映画を鑑賞してみては買ってよかった…!と映画館を引き返した無念がはらされた。
私が心惹かれる”何か”における共通点のひとつに、「向上するために工夫し続けているか、否か」という基準がある。
マイケル・ジャクソン氏の歌やダンスといった全てのパフォーマンスには、観客を、そして自分たちがより楽しみ納得がいくような最高のものを提供するための情熱と工夫が惜しみなく注ぎ込まれている。
コンサートのために集った全てのスタッフにも、この心意気がみなぎっていることが「THIS IS IT」を観るとすぐに理解できる。
マイケル・ジャクソン氏自身も、目指す最高のパフォーマンスを体現するために情熱を燃やし、研鑽し続け、そして節制もする。そんな印象を持つと同時に私は氏に尊敬の念を抱くようになった。私はこの姿勢に惜しみない拍手を贈りたい。
私は氏の訃報を機に製作されたテレビ特番を通じて、徐々にマイケル・ジャクソン氏の音楽を聴くようになった。にわかファンではあるけど、今はちょっと興味ある、程度のものではなく、もっと能動的に観たい聴きたい楽しみたい、と思うようになった。
はじめこそ「スリラー」や「バッド」、「ブラック・オア・ホワイト」といった有名な曲しか知らなかったものの、YOUTUBEなどで色々聞いてみるうち、まだまだこんなにも素晴らしい曲達があるのか!とわくわくする発見が多く、最近は頻繁にマイケル・ジャクソン氏の楽曲を聴くようになった。
このブログを開設する寸前の作業では Wannabe Startin' Somethin'「スタート・サムシング」というマイケル氏の曲をヘビーローテーションで聴き続け、よし始めるぞ、さぁ始めるぞと気分を高揚させたりしていた。
「THIS IS IT」の中で特に印象に残った楽曲がThey Don't Care About Us「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」という曲で、最初はただ、曲のムードやビートの刻み方、歌のメロディなどが好みだったという単純な関心からだった。
They Don't Care About Us・「THIS IS IT」リハーサルより 最高にクール!
しかし「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」の歌詞が意味するものはとても痛切なものだった。
世界中にある不条理な暴力や圧力といったものへのマイケル氏の怒りと警鐘の叫びの歌なのではないか、と思う。ここまでくると個人の作品という枠を超えて社会の抑圧された声の代弁者としてのマイケル像が立ちあがってくる。
社会情勢を反映する事件などを自身の作品へと落とし込むあたりに、私が以前から尊敬するシンガーソングライター「中島みゆき」との作家としての共通性がうかがえる。この曲のPVに「天安門事件」の映像などが挿入されるあたりは顕著である。
それは同じく天安門事件を背景として生み出されたみゆきさんの「EAST AISA」という曲もあるために、いささか強引ながらも無関係には思えないのである。
em>「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」を歌詞の意味とともに聴いた時、みゆきさんの「ファイト!」を初めて聞いた時と同じ気持ちになった。両曲とも心痛む事から生まれた歌だが、その感情を完成度の高い楽曲に昇華させている。
突然に中島みゆきさんの名前を出してしまったが、私は以前からみゆきさんが大好き。最初に書いたとおり、このおふた方は、向上するために工夫し続けている姿勢でも共通しており、なんら不自然なことを書いたつもりはない。
私の音楽世界の中ではマイケル・ジャクソン氏と中島みゆきさんが肩を組んで微笑んでいらっしゃる。
”M”とはマイケル氏であり、みゆきさんであり、「MUSIC」を顕す。
They Don't Care About UsオリジナルPVより 日本語字幕付き
マイケル・ジャクソン氏に敬意を表し、今年はムーンウォークを覚えた。最近はすべりのいい床があるとムーンウォークしたくなって仕方がない。
おめもじでした。
そのリハーサルの様子を編集したドキュメンタリー映画「THIS IS IT」のDVDを購入した。去年、私はこの映画を見るため、二度劇場へ足を運ぶも公開最終日だったリピート日は満員御礼、出遅れた私はやむなく引き返した。
リピートしようと思っただけあって自然とDVDは買い求めたいと思っていた。そして昨日今日と映画を鑑賞してみては買ってよかった…!と映画館を引き返した無念がはらされた。
私が心惹かれる”何か”における共通点のひとつに、「向上するために工夫し続けているか、否か」という基準がある。
マイケル・ジャクソン氏の歌やダンスといった全てのパフォーマンスには、観客を、そして自分たちがより楽しみ納得がいくような最高のものを提供するための情熱と工夫が惜しみなく注ぎ込まれている。
コンサートのために集った全てのスタッフにも、この心意気がみなぎっていることが「THIS IS IT」を観るとすぐに理解できる。
マイケル・ジャクソン氏自身も、目指す最高のパフォーマンスを体現するために情熱を燃やし、研鑽し続け、そして節制もする。そんな印象を持つと同時に私は氏に尊敬の念を抱くようになった。私はこの姿勢に惜しみない拍手を贈りたい。
私は氏の訃報を機に製作されたテレビ特番を通じて、徐々にマイケル・ジャクソン氏の音楽を聴くようになった。にわかファンではあるけど、今はちょっと興味ある、程度のものではなく、もっと能動的に観たい聴きたい楽しみたい、と思うようになった。
はじめこそ「スリラー」や「バッド」、「ブラック・オア・ホワイト」といった有名な曲しか知らなかったものの、YOUTUBEなどで色々聞いてみるうち、まだまだこんなにも素晴らしい曲達があるのか!とわくわくする発見が多く、最近は頻繁にマイケル・ジャクソン氏の楽曲を聴くようになった。
このブログを開設する寸前の作業では Wannabe Startin' Somethin'「スタート・サムシング」というマイケル氏の曲をヘビーローテーションで聴き続け、よし始めるぞ、さぁ始めるぞと気分を高揚させたりしていた。
「THIS IS IT」の中で特に印象に残った楽曲がThey Don't Care About Us「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」という曲で、最初はただ、曲のムードやビートの刻み方、歌のメロディなどが好みだったという単純な関心からだった。
They Don't Care About Us・「THIS IS IT」リハーサルより 最高にクール!
しかし「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」の歌詞が意味するものはとても痛切なものだった。
世界中にある不条理な暴力や圧力といったものへのマイケル氏の怒りと警鐘の叫びの歌なのではないか、と思う。ここまでくると個人の作品という枠を超えて社会の抑圧された声の代弁者としてのマイケル像が立ちあがってくる。
社会情勢を反映する事件などを自身の作品へと落とし込むあたりに、私が以前から尊敬するシンガーソングライター「中島みゆき」との作家としての共通性がうかがえる。この曲のPVに「天安門事件」の映像などが挿入されるあたりは顕著である。
それは同じく天安門事件を背景として生み出されたみゆきさんの「EAST AISA」という曲もあるために、いささか強引ながらも無関係には思えないのである。
em>「ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス」を歌詞の意味とともに聴いた時、みゆきさんの「ファイト!」を初めて聞いた時と同じ気持ちになった。両曲とも心痛む事から生まれた歌だが、その感情を完成度の高い楽曲に昇華させている。
突然に中島みゆきさんの名前を出してしまったが、私は以前からみゆきさんが大好き。最初に書いたとおり、このおふた方は、向上するために工夫し続けている姿勢でも共通しており、なんら不自然なことを書いたつもりはない。
私の音楽世界の中ではマイケル・ジャクソン氏と中島みゆきさんが肩を組んで微笑んでいらっしゃる。
”M”とはマイケル氏であり、みゆきさんであり、「MUSIC」を顕す。
They Don't Care About UsオリジナルPVより 日本語字幕付き
マイケル・ジャクソン氏に敬意を表し、今年はムーンウォークを覚えた。最近はすべりのいい床があるとムーンウォークしたくなって仕方がない。
おめもじでした。