西の魔女の母 [日記]
2008年6月に「西の魔女が死んだ」という映画が公開されました。
この映画は同タイトルの小説が原作となっていますが、公開当時、
私はそういう周辺の情報を知らずに、単純に興味がわいていたので観に行きました。
地元の劇場では取り扱われなかったので、
電車に乗って公開劇場まで足を運んだことを覚えています。
映画「西の魔女が死んだ」は、自ら不登校を決めた「まい」という女の子が、
”魔女”と呼ばれるおばあちゃんの家で過ごす日々をつづった静かな作品でした。
そのおばあちゃんの家は山梨県の清里公演に撮影のためにまるごと「家のセット」が作られ、
美術監修をアリエッティの床下の家を手掛けた種田陽平さんが担当していたりします。
この映画のおばあちゃんは、「サチ・パーカー」というアメリカ生まれの女優さんが演じています。
おばあちゃんは”魔女”と呼ばれていますが、ナベで怪しい薬をかき混ぜて調合したり、
ホウキで空を飛ぶような妙技を見せる人ではなく、
草花の知識や先見性に富む人の血筋をこの作品では魔女としているようでした。
タイトルが示すようにおばあちゃんは劇中で亡くなります。
この作品には人は死んでも、
魂と呼ばれるものはけっして消え失せたりしてはしない、という描写があります。
まいが窓に見つけた最後のメッセージはおばあちゃんが死んだあとに残されたものでした。
そして「サチ・パーカー」の母親は「シャーリー・マクレーン」というひとりの女優でもあります。
「アウト・オン・ア・リム」を執筆したシャーリー・マクレーンにはサチコ・パーカーという愛娘がいる、
私は「アウト・オン・ア・リム」の文中で「サチ」という文字を見た時、
この「西の魔女が死んだ」をハッと思い出して、
いそいそと同映画のパンフレットを取り出して、そのことを確認しました。
当時は歯牙にもかけませんでしたが、
パンフレット中に寄せられた文章のひとつにシャーリーの「アウト・オン・ア・リム」のことが、
しっかり引用されていました。
「アウト・オン・ア・リム」では輪廻転生(りんねてんせい)という概念が頻出します。
人はこの世にいくたびも生まれ来ること、同じ魂が異なる肉体に宿って、
異なる時代を生きていく、という考えです。
こういうものを当初シャーリーは疑問視して、
自分には該当しないものとして受け付けきれないでいた、と書かれています。
やがてシャーリー自身の飽くなき知の追及と、人の巡り合わせが縁を成し、
それをまことの事実として認めざるを得ない域にまで達する過程が、刻々とつづられています。
私にはそれまで説明がつかないと思っていた事象に、
事実という説明がくっついてしまったことで、安心してもいるし、
後戻りできない面に気付いてしまったし、むしろますます追求したい想いがわいています。
混在している中途半端な考えをきちんとまとめて、そして整理していく必要があるのではないか、
と思うのです。
それはと言うと精神世界、形而上学的なことは、とても興味深い分野ではあるのですが、
そういった情報の取り扱いを誤まると、あらゆる思考を飲み込んで、
盲目的・偏執的な思考を招くこともありうるからです。
自分の都合のいいように解釈しやすい世界観でもあるということです。
2年前に気まぐれで興味を持った映画が今、思いもよらぬ形であるつながりを持っています。
おめもじでした。
この映画は同タイトルの小説が原作となっていますが、公開当時、
私はそういう周辺の情報を知らずに、単純に興味がわいていたので観に行きました。
地元の劇場では取り扱われなかったので、
電車に乗って公開劇場まで足を運んだことを覚えています。
映画「西の魔女が死んだ」は、自ら不登校を決めた「まい」という女の子が、
”魔女”と呼ばれるおばあちゃんの家で過ごす日々をつづった静かな作品でした。
そのおばあちゃんの家は山梨県の清里公演に撮影のためにまるごと「家のセット」が作られ、
美術監修をアリエッティの床下の家を手掛けた種田陽平さんが担当していたりします。
この映画のおばあちゃんは、「サチ・パーカー」というアメリカ生まれの女優さんが演じています。
おばあちゃんは”魔女”と呼ばれていますが、ナベで怪しい薬をかき混ぜて調合したり、
ホウキで空を飛ぶような妙技を見せる人ではなく、
草花の知識や先見性に富む人の血筋をこの作品では魔女としているようでした。
タイトルが示すようにおばあちゃんは劇中で亡くなります。
この作品には人は死んでも、
魂と呼ばれるものはけっして消え失せたりしてはしない、という描写があります。
まいが窓に見つけた最後のメッセージはおばあちゃんが死んだあとに残されたものでした。
そして「サチ・パーカー」の母親は「シャーリー・マクレーン」というひとりの女優でもあります。
「アウト・オン・ア・リム」を執筆したシャーリー・マクレーンにはサチコ・パーカーという愛娘がいる、
私は「アウト・オン・ア・リム」の文中で「サチ」という文字を見た時、
この「西の魔女が死んだ」をハッと思い出して、
いそいそと同映画のパンフレットを取り出して、そのことを確認しました。
当時は歯牙にもかけませんでしたが、
パンフレット中に寄せられた文章のひとつにシャーリーの「アウト・オン・ア・リム」のことが、
しっかり引用されていました。
「アウト・オン・ア・リム」では輪廻転生(りんねてんせい)という概念が頻出します。
人はこの世にいくたびも生まれ来ること、同じ魂が異なる肉体に宿って、
異なる時代を生きていく、という考えです。
こういうものを当初シャーリーは疑問視して、
自分には該当しないものとして受け付けきれないでいた、と書かれています。
やがてシャーリー自身の飽くなき知の追及と、人の巡り合わせが縁を成し、
それをまことの事実として認めざるを得ない域にまで達する過程が、刻々とつづられています。
私にはそれまで説明がつかないと思っていた事象に、
事実という説明がくっついてしまったことで、安心してもいるし、
後戻りできない面に気付いてしまったし、むしろますます追求したい想いがわいています。
混在している中途半端な考えをきちんとまとめて、そして整理していく必要があるのではないか、
と思うのです。
それはと言うと精神世界、形而上学的なことは、とても興味深い分野ではあるのですが、
そういった情報の取り扱いを誤まると、あらゆる思考を飲み込んで、
盲目的・偏執的な思考を招くこともありうるからです。
自分の都合のいいように解釈しやすい世界観でもあるということです。
2年前に気まぐれで興味を持った映画が今、思いもよらぬ形であるつながりを持っています。
おめもじでした。
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