好きだった物を手放す決断 [持ち物ダイエット日記]
物の整理を続けていると、だんだんと整理できる品物の範囲が広がっていくことがあります。
私が物の整理を始めて間もないころは、あってもなくてもどちらでもいい品物・ゴミ・好みでない物などから整理していきました。これらは思い入れなどといったメンタル面にあまり関わらないので手放しやすいものでした。
やがて整理が進むにつれてそういった品物が減っていきます。
すると徐々に、思い入れがある品物や、自分の好みが強く反映された品物に対して整理の目を向ける余裕が出てくるようになります。
もちろん”好きで持っていたんだから、整理する必要はないんじゃないか?”とも考えました。
しかし”コレは好きだから…”という理由で十把一絡げに考えてしまうと、物の整理は行き詰ってしまいます。
例えば漠然と「好き」という理由で物を持っているにしても、今好きなのか、昔好きだったのか、自分が好きなのか、他人や世間に認められているから好きなのか… 同じ「好き」という理由をとっても様々です。
私の場合は、今現在持っていたい物と、昔は持っていたかった物は同じではない、という判断。
これが好きであるという、確認と満足感のために持ちすぎてしまった過剰さを見直すという判断。
さらなる整理のために、こういった判断基準を手がかりに整理を進めています。
最近、数年前の私のままだったなら、手放すことなど絶対に考えなかったであろう品を手放しつつあります。
ひとつは、コレクションしていたオマケのミニフィギュア。
これは2001年にダイドーのMIUというドリンクのおまけだった「深海生物フィギュアコレクション」というボトルキャップタイプの精巧な水棲生物フィギュアシリーズです。
初めて「チョウチンアンコウ」のフィギュアを手にした時は本当に心底、感動しました。
今でもおまけの袋を開けた時の光景とワクワクした気持ちが忘れられません。
徹底したこだわりに貫かれた完成度の高いシリーズで、これをきっかけに深海とそこに棲む生物に興味を持つようになり、日本が誇る有人深海探査艇「しんかい6500」の一般公開に足を運んだりもしました。
当時、この深海生物フィギュアは自分で全種類を集められずにキャンペーンが終わってしまったことがひとつ心残りで、数年後オークションに出品された未開封のおまけの袋が大量に出品され、私はそれを落札していました。
心残りはスッキリきれいに成仏しましたが、同時に大量に余ったフィギュアを抱えることにもなりました。
今回、それらをネットオークションで手放しています。
この箱はそれら水生生物の余ったボトルキャップなどをしまっている箱なのですが、整理によって「空き」ができました。
まだまだ、この空きには収まりきらない同じような大量の余りを抱えているので、それらを極力整理して片付けていく予定です。
次に、机に置いていたかつて好きだった漫画を手放しました。
数年前、東北に暮らす父方の祖父が亡くなった時でした。
東北の父の実家はひさしぶりであまり居所のなかった私は多少の気晴らしにと、
少し年上のいとこから、ある漫画借りて読んでいました。
読んでみると、なかなかに面白く内容も好みで、明日には帰るという深夜に夢中になって読んでいました。しかし全巻を読み終えるには至らず、続きが気になったまま帰ることに。
後日、その漫画が自分で欲しくなり全巻揃えて読みました。しかし今はほとんど読まなくなり、先日手放すことに決めました。
写真中央に並ぶ、全13巻の漫画をオークションに出品しました。
今年手放したクレヨンしんちゃんなどの漫画は中途半端に持っていたためオークションでは売りにくいと判断してブックオフで引き取ってもらいましたが、これは全巻すべて揃っていたので、すぐに落札者が決まりました。
結果530円で落札となり、ブックオフで引き取ってもらうよりは高くなったか、という結果に。
こうして棚から漫画13冊がなくなり、棚にできた空いたスペースに、おさまりの良くなかった国語辞書と英和辞書をしまう事が出来ました。
収納にスペースができた時は本当に気分のいいもので、片付く予感に胸が躍ります。
しかし浮かれて空いたスペースに無闇に物をつっこんでしまうのはもったいないので、
1日置いて何をしまうべきか冷静に合理的に考えます。
空いた場所に物を移動させると、今度は移動させてきた場所が空くことになります。
物のしまい方を見直せるとてもいい機会です。
最近になって、自分の持ち物の「総量」がイメージできるようになってきました。
どこに何が、どんな状態であるのか。物は多いですが、かなり把握できてきています。
おめもじでした。
私が物の整理を始めて間もないころは、あってもなくてもどちらでもいい品物・ゴミ・好みでない物などから整理していきました。これらは思い入れなどといったメンタル面にあまり関わらないので手放しやすいものでした。
やがて整理が進むにつれてそういった品物が減っていきます。
すると徐々に、思い入れがある品物や、自分の好みが強く反映された品物に対して整理の目を向ける余裕が出てくるようになります。
もちろん”好きで持っていたんだから、整理する必要はないんじゃないか?”とも考えました。
しかし”コレは好きだから…”という理由で十把一絡げに考えてしまうと、物の整理は行き詰ってしまいます。
例えば漠然と「好き」という理由で物を持っているにしても、今好きなのか、昔好きだったのか、自分が好きなのか、他人や世間に認められているから好きなのか… 同じ「好き」という理由をとっても様々です。
私の場合は、今現在持っていたい物と、昔は持っていたかった物は同じではない、という判断。
これが好きであるという、確認と満足感のために持ちすぎてしまった過剰さを見直すという判断。
さらなる整理のために、こういった判断基準を手がかりに整理を進めています。
最近、数年前の私のままだったなら、手放すことなど絶対に考えなかったであろう品を手放しつつあります。
ひとつは、コレクションしていたオマケのミニフィギュア。
これは2001年にダイドーのMIUというドリンクのおまけだった「深海生物フィギュアコレクション」というボトルキャップタイプの精巧な水棲生物フィギュアシリーズです。
初めて「チョウチンアンコウ」のフィギュアを手にした時は本当に心底、感動しました。
今でもおまけの袋を開けた時の光景とワクワクした気持ちが忘れられません。
徹底したこだわりに貫かれた完成度の高いシリーズで、これをきっかけに深海とそこに棲む生物に興味を持つようになり、日本が誇る有人深海探査艇「しんかい6500」の一般公開に足を運んだりもしました。
当時、この深海生物フィギュアは自分で全種類を集められずにキャンペーンが終わってしまったことがひとつ心残りで、数年後オークションに出品された未開封のおまけの袋が大量に出品され、私はそれを落札していました。
心残りはスッキリきれいに成仏しましたが、同時に大量に余ったフィギュアを抱えることにもなりました。
今回、それらをネットオークションで手放しています。
この箱はそれら水生生物の余ったボトルキャップなどをしまっている箱なのですが、整理によって「空き」ができました。
まだまだ、この空きには収まりきらない同じような大量の余りを抱えているので、それらを極力整理して片付けていく予定です。
次に、机に置いていたかつて好きだった漫画を手放しました。
数年前、東北に暮らす父方の祖父が亡くなった時でした。
東北の父の実家はひさしぶりであまり居所のなかった私は多少の気晴らしにと、
少し年上のいとこから、ある漫画借りて読んでいました。
読んでみると、なかなかに面白く内容も好みで、明日には帰るという深夜に夢中になって読んでいました。しかし全巻を読み終えるには至らず、続きが気になったまま帰ることに。
後日、その漫画が自分で欲しくなり全巻揃えて読みました。しかし今はほとんど読まなくなり、先日手放すことに決めました。
写真中央に並ぶ、全13巻の漫画をオークションに出品しました。
今年手放したクレヨンしんちゃんなどの漫画は中途半端に持っていたためオークションでは売りにくいと判断してブックオフで引き取ってもらいましたが、これは全巻すべて揃っていたので、すぐに落札者が決まりました。
結果530円で落札となり、ブックオフで引き取ってもらうよりは高くなったか、という結果に。
こうして棚から漫画13冊がなくなり、棚にできた空いたスペースに、おさまりの良くなかった国語辞書と英和辞書をしまう事が出来ました。
収納にスペースができた時は本当に気分のいいもので、片付く予感に胸が躍ります。
しかし浮かれて空いたスペースに無闇に物をつっこんでしまうのはもったいないので、
1日置いて何をしまうべきか冷静に合理的に考えます。
空いた場所に物を移動させると、今度は移動させてきた場所が空くことになります。
物のしまい方を見直せるとてもいい機会です。
最近になって、自分の持ち物の「総量」がイメージできるようになってきました。
どこに何が、どんな状態であるのか。物は多いですが、かなり把握できてきています。
おめもじでした。
タグ:整理論
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